手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

手話とは何か 言語とは何か(その2 ) を ヘレン・ケラーからまなんだ1954年に提起 京都 の 手話

f:id:sakukorox:20170621104932j:plain

 手話を知らない人も

   手話を学んでいる人もともに
 
 {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

「1954年手話冊子」 第1章 (1)-5

 

 彼女(注 ヘレン・ケラー)は「私の生活」という自叙伝の中に、次のように述べている。

 

「ある日、私が新しい人形持って遊んでいますと、サリバン先生がつづれ布で造った大きい人形を私の膝の上において、「d-o-l-l」と語りながら。 二つとも同じ名前であることを私に分からせようとなさいました。
 (彼女はそれより前に一つの人形持っておりその名前も知っていた。)その日はすでに私達は「湯吞」と「水」とで大変苦しんだ後でありました。

 

  私の感情の発作が鎮って後も
     悲哀もまるで感じません

 

 サリバン先生は俺m-a-gが、湯吞みでw-a-t-e-rが水であるということを、はっきり教えるために、苦しまれたのですが、私がいつまで經(以下 経)っても二つを混同をしました。

 

 先生は失望して、一時中止して居られましたが、機会を見てもう一度試みようとなされれました。

 

 私が繰返しての試みに癇癪を起こして、新しいお人形を手にとるなり、床に叩きつけました。そして、私は砕けたお人形の破片を足先に感じながら痛快に思ったのです。私の感情の発作が鎮って後も悲哀もまるで感じませんでした。

 

 私はこの人形を愛していなかったのです。

 

   住んでいた沈黙と暗黒の世界
  何らの高い情操もない

 

 それに私の住んでいた沈黙と暗黒の世界には、何らの高い情操もないのでした。私は先生が破片を爐(以下 炉)の片隅に掃き寄せていられる様子を感じましたが、ただ腹立ちの原因がとり除かれたという満足を覚えただけです。

 

 ところが、先生が帽子を持って來(以下 来)て下さったので、私は暖かい日向に出かけるのだと知って、その考えーもうもしも言葉のない感情を考えると呼ぶことが出来るとすればーに、私は喜んで躍り(以下 踊り)上がったのでした。

 

    甦って来ようとする思想のおののき

 

 二人は井戸小屋を覆って忍冬(?注 文字読めず スイカズラ?)の甘い香りにひかれて、庭の小径を下っていきました。

 

 誰かが水を汲み上げていましたので、先生は樋口の下に私の手をおいて、冷たい水が私の片手の上を勢い良く流れている間に、別の手に初めてゆっくり、次には迅速に「w-a-t-e-r」という語を綴られました。

 

 私は身動きもせず立ったままで、全身の注意を先生の指の運動にそそいでいました。

 ところが突然私には何かしら忘れていたものを思い出すような、或いは甦って来ようとする思想のおののきといった一種の神秘的な自覚を感じました。

 

 この時、初めて私はw-a-t-e-rは、今自分の片手の上を流れている不思議な冷たい物の名前であることを知りました。

 

    生きた一言
私の魂をめざまし
光と希望と喜びを与え
私の魂を開放する

 

 この生きた一言が、私の魂をめざまし、それに光と希望と喜びを与え、私の魂を開放する事になったのです。勿論、まだまだ数知れなぬ障碍物が残っていましたが、それはやがて取除くことの出来るものばかりでありました。

 

  この言葉ほど、言語について
  判然記述したものはない

 

 私は急に熱心になって、いそいそと井戸小屋を出ました。

 

 こうして物には皆名のあることが分かったのです。しかも一つ一つの名はそれぞれ新しい思想を生でくれるのでした。そして庭から家に帰った時、私の手に触れるあらゆる物が、生命を以て躍動しているように感じ始めていました。」

 

 当時、満七才になる盲目ろうあの少女が、このような劇的な感動を体験し、それを記憶していたということは、驚歎すべきことだ。

 

 然し又、この言葉ほど、言語についての判然記述したものはないであろう。