手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

戦禍を生き抜いてきたからこそ1954年に論破した 「手話はろうあ者の母国語である」 を

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  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

  涙目で語ってくれた
   人間であり
人間そのもので
基本的人権が保障されている

 

「1954年手話冊子」は、1950年代も含むそれ以前の社会の中で

 

・ 生まれながら音声言語をきくことのないろうあ者ー彼等の知性は低いといわれ、適応性に乏しいといわれ、言語を知らない以前はほとんど動物的段階とも考えられている

 

 ・ のみならず彼等の心性は、しばしば原始未開人のそれに近いのではないかと

などなどの人間であり、人間そのものである基本的人権が保障されたろうあ者に対して「日本人ではない」「人間ではない」という根拠に手話母語や日本語と異なった手話で話をする「手話はろうあ者の母国語である」とする一部の主張に敢然立ち向かわざるを得なかったと明石欣造さんは涙目で語ってくれたことは忘れられることは出来ない。

 

  人間みな平等 非人道的扱いに
  どうしても

反撃しておかなければならなかった

 

 戦時中は、戦闘員になれない者は人間以下とされ、戦後は、手話で話すことは日本語ではないからと排外されることへの人間としての炎をあげる思いだったと感じた。

 

 手話を否定する根拠に、「手話はろうあ者の母国語である」という一見手話を肯定しながらその内実はろうあ者の存在を否定するこの非人道的扱いに対して、戦禍を生き抜いてきたからこそ亡き友へ、亡き家族へ、亡き理解者に、どうしても反撃しておかなければならなかったと言う。

 

だから、

 

・ 彼等の思惟や心性をこのままこの社会から切り離して、未開社会や動物社会と同一に考えることは、その錯誤も甚だしい。

 

・なぜなら彼等も又、この社会に行き、この社会の慣習に従って生活しているのではないか。

 

・なぜなら彼等も又、この社会に行き、この社会の慣習に従って生活しているのではないか。

 

・彼等は、日本の家庭や学校や社会で教えられ、日本語を学習し、日本語で思考し、日本語で伝達し報告する。

 

・また彼等の触れるもの、体験し得るものも、ほとんどが日本の、しかもその地域の事物ああり事柄である。

 

 ・彼等にとって、母国語はやはり、僕逹と同様に日本語であらなければならないのだ

 

と反撃する。

 

   手話は、日本語そのものである
   みんなと平等に同じ生きる権利がある

 

 手話は、日本語そのものである。
 
 日本語の音声で話される通りでないから手話は日本語と異なったものだとするのは、ろうあ者がこの社会で生きていて、みんなとともに生活し、みんなと同じ感情を抱いていることを否定することである。

 

 ろうあ者もみんなと平等に同じ生きる権利がある、このことをあえて立証しなければならない「空しさ」を胸に抱き。

 

 当時知りうるあらゆる学習をして手話が日本語と異質なものでないことをであることを次々と明らかにしていったその記録と話を知るにつけ逆行に飲み込まれない逞しさを感じる。

 

 これらの「立証」は、1960年代、1970年代の手話や手話通訳を否定する人々への道理ある根拠として生き続けた。

 

 64年以上経った今日でもそのことを忘れてはならないだろう。