手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
声、話す、言う、騙して話す、言い合う、意見を戦わす、ばらばらに発言していたことがまとまる、など京都の手話には、さまざまな「聞く」・話すなどの手話がその時々の状況に応じて「合った」手話がつかわれる。
この場合は、「声を出す」の手話のひとつである。
喉元から声が声帯(円で表現している)から口を通り、外に飛び出す。
胸元まででている様子から「胸を絞り上げて出した声」ともとれるし、こころの奥底からの声ともとれる。
いわゆる話という手話ではない。
あれだけ出にくい声を出したのに、「聞いてもくれなかった。」などの時によくこの手話を見た。
声をすらすらと出して言えない辛さも表現している手話である。
同時にこの手話は、口話教育で声帯から声を出す訓練をし続けた様子も彷彿とさせる。声帯を押さえたり、声帯の形をするようにと苦しい「訓練」の日々。
鵜飼いを見るのが嫌だった、と明石欣造さんは言う。
そう言いながら横に居る人の話を「読み取って」いた。顔を向き合い話して唇を読むのではない。声帯の動きをも読みとる。
「あの人は口話反対と言っているけれど、喉を見れば口話で得た動きがあるので声を出して話せるはず。なぜ、声を出さないの。別にいいじゃないか。口話で得たことと手話を両方しても。手話しか出来ないと言うフリは、自分もみんなを騙しているようだ。」
事務は、まさに机に向かって書く仕事として表現される手話である。
事務長。
事務長は、その事務の責任者、偉いさん、上に立つ男として表現されている。
書いて手に持っているのは、鉛筆でも万年筆でも、ましてやボールペンでないことを手話動作で見抜いて欲しい。
この時代のペンは、「つけペン」「付けペン」と言われてペン先にインクをつけながら書くので、書いたインクがすぐ乾かないので擦れないように手を添えている手話である。
恋=「戀」。
人差し指で男女。その男女の動きで、
男女が、惹かれ会い、こころが縺れながらも重なって、お互いのこころが一つになって行く。
この意味合い、こころの微妙な心理、を目を少し閉じて表現している。
恋に落ち、こころが重なり合いひとつになる心情を見事に表現している。
恋する表情を見るだけでも、夢見る恋心、幸せな日々、も伝わってくる。
近年、ハートマークを画いた手話が恋だと手話講習会で教える人がいるが、この時代以前は恋をハートマークで画くこともなかった。
恋の心情、胸の内、あの幸せなひととき、時期、を全身で表現する手話は、簡単に体得出来ない。
胸の高鳴り。どきどき。
まさに心臓が高鳴り、脈拍が増えるようすをの手話である。
あの女性を見た瞬間、「胸が高鳴り」、好きになり、交際を恐る恐る申し出て、お付き合いをしてお互い「恋」した。
よく聞いた、見た手話であるが、恋の手指の動きや表情はみんな違っていた。
さあざまな恋の物語。
つきない恋の物語。