手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

オーストラリア先住民のコミュニケーションから手話を考えた1950年代初頭 京都の手話

手話を知らない人も

  手話を学んでいる人もともに

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  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

「 手話」はろうあ者の世界のみで

     存在しているのではない

 

「1954年手話冊子」では、みんなで文化人類学などの研究を読破して、人間のコミュニケーションとしての「手話」がろうあ者の世界のみで存在しているのではないこと。

 

 その上で手話を考えるというとてつもない検討・研究がされていた。

 

 以下、当時の訳語問題があるが、リュシアン・レヴィ=ブリュール(フランスの哲学者、社会学文化人類学者)ボールドウィン・スペンサーやフランシス・ギレンの「アボリジナル」・「オーストラリア先住民」研究からの手話を考えようとしていた事をそのママ紹介する。

 

 

  「1954年手話冊子」 第1章 (1)-9

            Ⅲ

 

 僕たちは、最初に「手話」を考えるにあたって「ろうあ者が用いる手話」というふうに規定した。

 

 然る(以下 しかる)に、「手話」や「身振り」「表情」「合図」「指話」は、必ずしもろうあ者間だけで用いられるものではない事は、一般の会話や、演劇の場合を想定しても容易に考えられよう。

 

 オーストラリアの先住民に
    身振り言語がある

 

 レヴィ・ブリル(未開社会の思惟」によれば「劣等社会の言語の共通傾向は、主体の受ける印象ではなく、空間に於における器物の形態、輪郭、位置、運動、行為の仕方を、つまり知覚され、描かれ得るものを表出することである。

 

 その傾向は表現しようとするものの塑像的(注 そぞう 粘土でつくった像。木で心(しん)をつくり、藁などを巻きつけ、これに土をつけて像の形をつくり、表面は細かい土で仕上げる。現代では主として彫刻ー鋳物ーの原型に用いるもの)、衝動的、図形的要素と一体となろうとする。

 

 これらの同じ社会が一般に、も一つの言語ーその特質は、必然的に、それを使用する物の心性に反応を示し、思考の、したがってそのはなしの仕方に作用を及ぼすものーを使って話していることを注意すれば、この要求は説明されるだろう。

 

 これらの社会では事実身振り言語が、sign language 少なくともある事情の下で用いられる」といい、スペンサー・ギレンが、オーストラリアのこの言語について述べている次の文章を引用している。

 

  義務のないときにさえ
口で話すよりも身振り言語を好む


「ワラムンガ族の間では‥‥‥寡婦(注 夫と死別または離婚して再婚していない女)たちは、時には12ヶ月の間、話すことを許されない。その期間を通じて彼女たちは身振り言語によるだけで他人に意を伝える。

 

 この期間の終わり頃になると、彼女たちは非常に身振り言語に熟達してきて、そうする義務のないときにさえ口で話すよりもそれを使うことを好むようになる。

 

 一団の婦人がキャンプに入る時、ほとんど完全な沈黙が続いている事が一再ならずもある。

 

 しかもその間中活発な会話が彼女たちの指先、いや身振りの多くは両手あるいは恐らくまた両肘を種々の位置においてなされているので、むしろ彼女女たちの手と腕とでつづけられる」