手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
先住民の身振り言語を手話として考える研究は、京都では1950年代にかなり詳細にされていた。
前回は、オーストラリアの先住民の言語と手話と言ってもいい身振り言語の事が紹介されている。
だが、最近、このオーストラリアの先住民の言語をやめさせて強制的に英語教育を行ったオーストラリア政府と先住民の間の事件や問題が歴史の「影」から表面化されその深刻な実態が明るみに出されてきている。
「1954年手話冊子」では、聞こえないことを聞こえることを対峙して捉えるのでなく、その共通項と人間性を明らかにしている点では学ぶ事が多くある。
でも、共通性だけでなく「1950年代の文明に住んでいるという事であり、一つには、彼らは音声言語に遂に聞くことがないという事である。」という件は同一性と異質性をきちんととられている。
難聴。
耳・遠い、で 音や声がよく聞こえないことを表す手話である。
耳に親指と人差し指をあてて、人差し指を徐々に伸ばして、耳から親指と人差し指を離していく。耳から離れる程度で聞こえの程度がわかる、
もともと、耳に付けなければ、親指と人差し指で、遠く、遠い、などの手話である。
あの人は、遠くに行ってした。の「遠く」である。
高齢の人々が日常的に「最近、耳が遠くなって」という言い回しからも表現の意味も理解出来るだろう。
顔を半分にして「難聴」。(聞こえる聞こえないの真ん中)補聴器を付ける動作で「難聴」とする手話はこの時代以降表現される。
難聴の手話を顔半分にするのは、難聴者を「侮蔑」(そういう表現ではまったくなかったが)しているという声も出始めたが、難聴協会の人々が自らすすんで「耳が聞こえないわけでもないし、聞こえるようでもないし、その真ん中だからこの表現がいい。」と受け入れた経過がある。
顔の真ん中で手を立てるのは、中途失聴という「中」という表現でもあるが、左右、若しくはどちらかの手で耳に近づけることで、徐々に聞こえなくなった、すぐ耳に手を付けることで突然聞こえなくなったなどなど手話で表すことは多くある。
これは、、聞こえない、聞こえなくなったという経過はさまざまであり、その苦悩もさまざまであることを表出している。
どちらかと言えば、聞こえがち、どちらかと言えばほとんど聞こえない場合も、などの微妙な状況を、顔の真ん中の手を動かすことで表現する人も出てきたりした。
くりかえすが、「遠い」の手話。「距離が遠い」などの手話としてしばしば使われる手話である。
手話で「帰る」は、人が次第に「遠ざかる」表現なのだが、これの省略形とも世界のある地域の先住民の「遠い」とまったく同じ表現だったりもしている。
物を遠くに投げる動作から来ているのかも知れない。ブーメランを投げる動作とも。
身振り言語と手話には、共通項が多くある、と。
ともかく、音や声が「遠くから」「耳」に入る手話表現なのだが、遠くからの声、遠くからの音、という表現に手話の魅力がある。
結婚・夫婦。
男・女・一緒(くっつく)=結婚 の手話である。
恋愛は、恋に落ちる精神性も含めて表現されたのに対して結婚は、目線で手話を表現することで、みんなに知れる、結婚、という意味表現する。
離婚は、この手話の逆の動きをするし、駆け落ちは結婚して逃げる、逃げて結婚、などこれらの手話は多彩にある。
時代時代の結婚形態によって、それに対応した手話がある。略奪婚、妻問婚、養子となるなどなど。
人生の分岐点を表す手話の特徴かも知れない。
人間が生きる上での人生の分岐点となるとき、それを表す手話は数多い。従って、平安時代、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代等々の物語まで当時の文献通り手話表現されていたことは、何故か忘れられている。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
など、文の綴られた脈絡を押さえながら手話にされていた。大勢のろうあ者の前で話をするときは、それに訳がつけ加えられた。
手話にリズムを付けて、話の世界に巻き込んでいく手話の世界があったこと、あることを知っておくべきではないか。
昔は、ですますことなく。
ろうあ者は、昔物語を手話で見てそん世界と一体化して、驚き、哀しみ、震え、喜び、学んだりした。
時代を反映した手話だからこそ、表現出来る昔話である。