手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
熱い。(暑い)
気温がドンドン上昇して熱い(暑い)。
京都の夏はうだるような暑さ。おでこの汗を拭いても手からしたたり落ちる汗、その汗を振り落とす手の高さで、極暑を現している。
手の高さで、暑さの程度を示す手話。
こんなにも暑い、汗がしたたり落ちる、と同時に太陽からの熱の強さまで暗示する。
頬を膨らませるのは、息が、絶え絶えになることすらも意味している。
胸いっぱいの深呼吸、が現しにくいので、ほっぺたを膨らませる「鰓呼吸」の表情。
時には、手ぬぐい(手拭い)でふいた汗を絞る動作までする。暑さ表現。
鰓呼吸の漢字からくる呼吸を表情で表す。冷房などなかった時代、ただただ、暑さに耐えた。
弱虫。
鼻の上に拳をつくって上昇させると、自信、自慢、天狗、威張る、となる。
が、この弱虫の場合は、鼻が「崩れた」「散った」ような手話。
自信のなさを現している。明石欣造さんの表情を見て欲しい。
弱々しい顔とともに「鼻がへしゃげる」=自信がない=弱虫と表現するのだが、どこかに「もの悲しさ」が残る。
そして、「自信喪失」すらも。
手は動かせてもこのように表情と一体となった手話はとても難しい。
はげ。禿げ。
頭の毛がないことを知らせる手話。
頭を平手で叩く=毛がない=はげ
これは、手話と言うより、聞こえる人が頭に髪の毛がなくなった=禿げた とよくする「仕種」からも来ているし、漢字の「禿げ」の形状からも来ているとも言われている。
ともかく、ひとつだけの「原因」「理由」「源流」だけで手話は捉えられないし、またそのように決めつけることは出来ない。
それだけ多くの情報や交流がろうあ者にあった証として理解する必要がある。
ろう学校では、先生の特徴を顔や髪の毛で表していた。○○○先生というより、はげ、でその先生のことを表していたため、先生の名前も知らない事もあったと言う。
先生達に叩かれた「仕返しの表現」ともとれる。
その先生が悪いわけでもないのに「はげ」=○○○先生という手話は永く続いた。
禿げでもいい先生は、にこやかな表情。
嫌いな先生は、憎い、嫌な顔で区別した。
教育の手話が、細い棒を振る動作からも来ているとされているが、ろう学校では生徒たちは細い棒で叩かれた、と言う。
その憎しみ、恨み。
でも、そのようなことをしなかった先生には、最高の笑顔の表情で手話をする。
最高の笑顔になれるろう学校の先生は、少なかったと明石欣造さんは言っていた。