手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
2017年7月11日毎日新聞に「手話 方言 他県で通じず 四国ろうあ連盟、実情冊子に 災害時に課題」として次のような記事が掲載された。
「聴覚障害者らでつくる四国ろうあ連盟(事務局・香川県観音寺市)などが、四国4県の手話の「方言」をイラストで紹介した冊子を発行した。全国各地でそれぞれ発展した手話は意味や表現が異なることがあり、災害など緊急時のコミュニケーションで課題となっている。同連盟は地域の手話を継承するとともに、南海トラフ巨大地震などに備えて手話通訳の混乱を防ぎたい考えだ。」
1969年には
京都に日本手話研究所などはなかった
「同じ言葉でも地域によって表現の仕方が異なることがあり、全国共通の『標準手話』の指定が1969年から日本手話研究所(京都市)によって進められている。だが、周知の機会が少なかったり、時代とともに新たな表現が必要になったりするため、身近な生活環境にある手話を先に習得するケースも多いという。」
と「全国共通の『標準手話』の指定が1969年から日本手話研究所(京都市)によって進められている。」と断定的に書かれているが、1969年には京都に日本手話研究所などはなかった。
日本手話研究所(京都市)
全国共通の『標準手話』の指定がなされた根拠はない
ましてや1969年から日本手話研究所(京都市)によって全国共通の『標準手話』の指定がなされたともする記事は疑問だらけである。
日本手話研究所(京都市)が全国共通の『標準手話』を「指定」する権限がどこにあるというのだろうか。そんなものは全くない。
四国ろうあ連盟
大切に引き継がれてきた四国の手話を
次世代につなげていきたい
さらに「表現の違いによる支障は災害などの緊急時に特に生じ、熊本県ろう者福祉協会によると、昨年4月の熊本地震では全国から手話通訳が派遣されたが、通じ合わない問題があったという。」ということを根拠に「標準手話」を強調する根拠にはならない。
四国ろうあ連盟の近藤龍治事務局長は「4県のろう者が集まっても通じないことが多い」と、約2年かけて冊子「あさいと 四国の手話」を作製。曜日や続柄など日常でよく使われるが地域で表現が異なるものや、四国の名所・名物など約50語を手話のイラスト付きで紹介して「竹島春美理事長は『大切に引き継がれてきた四国の手話を次世代につなげていきたい』としている。」
ことは、大変重要ななことであり、大いに評価・歓迎したい。
「標準」と「方言」を
対峙して述べているが
だが次の記事は大いなる疑問が残る。
「手話言語を研究する大杉豊・筑波技術大障害者高等教育研究支援センター教授は「『標準手話が広がる一方、地域の手話を見直す動きもある。冊子は手話の実情を知ってもらうことにもつながる』」と評価している。
部分である。
標準語がつくられて強要されてきた悲惨な教育史を紐解くまでもなく、「標準」と「方言」を対峙して述べている。
「標準手話」なる名の下で
ろうあ者の自由な手話がなぎ倒されている
記事の正確性は疑わしいが、「標準」(基準・あるべきかたち・規格)、標準語(日本語では、おおむね東京の中流階級の使う東京方言に基づくものとされている)ことと同様に論じるのは比較そのものがおかしいと言わざるを得ないだろう。
「標準手話」なるものでろうあ者の自由な手話表現が、なぎ倒されていくことは歴史への逆行であろう。
「四国でば『朝』を表す際、愛媛や徳島では顔の横で拳を上から下に動かすが、高知は両手を顔の前で広げる。しかし、この手を広げる仕草は香川だと『始まる』を意味する。」ことの違いは、お互いの交流によって真意が理解できることである。
四国ろうあ連盟だけの努力で
「四国の手話」を作らせるのではなく
国や・行政が惜しみない援助を
問題は、「標準手話なるもので、各地域の手話を切り捨ててきたこと」にこそ考えるべき問題があり、緊急災害に向けて四国ろうあ連盟だけの努力で「四国の手話」を作らせるのではなく、国や・行政が惜しみない援助をすべきことであろう。
緊急災害に対して国や・行政の「無策」を記事から窺える。
東北の大震災の時、聞こえる人にインタビューしている時に、東北の人が話す言葉に文字放送したことを忘れてはならない。
被災地のことを、といいながら「災害など緊急時のコミュニケーションで課題となる」のは、手話だけの問題だけでない。
総合的な安全対策、救済の中でそれぞれの地域の人々のコミュニケーションが大切にされるべきだろう。