手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

手話の前後の表現で同一の手話であっても異なった意味合いとして理解出来る  京都の手話

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 手話を知らない人も

       手話を学んでいる人もともに
 {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

  「1954年手話冊子」第2章(2)-4手話の成立 Ⅱ

 

 (5)他の意味から展開してきた手話

 

 例えば明石欣造さん(明るい固い)や本田さん(本と田)などの人名や地名を。漢字の意味を、漢字の意味を表現して表したり、月曜日(月)火曜日(火)やパンパンガール(パン女)がある。

 

(6)一つの手話を多義に用いる場合

 

 政府(府庁、役場にも用いる)歴史(血統、伝統にも用いる)社会(商売にも用いる)など大体関係があるが音声言語では区別しているものも同一表現をとる。

 

 ただし、前後の表現関係で、今、音声言語のどのような意味で、それを用いるのかは、話手と聞手の間に理解が成立している。

 

 したがって、彼等は教育により、音声言語の方法に内語として習熟していて用いる手話と、全く手話のみしか知らな場合とでは、その意味は、自ずから大きく離っているわけである。

 

  「音声言語では区別しているものも同一表現をとる手話」について、音声言語と異なることを強調する動きに対して1950年代から「前後の表現関係で、今、音声言語のどのような意味で、それを用いるのかは、話手と聞手の間に理解が成立している。」「音声言語の方法に内語として習熟していて用いる手話と、全く手話のみしか知らな場合とでは、その意味は、自ずから大きく離っている」ということに熟考する必要がある。

 

 当時から、音声と異なったり、同一手話で多義性があることに対して日本語として認めないとか、言語として排除するとかのことがあった。

 

 手話の前後の表現で、同一の手話であっても異なった意味合いとして理解出来ることを述べているが、「ことば」そのものにも多義性があるにもかかわらず手話を偏狭に見ている人々への「反論」でもあったと言える。