手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
「見たこともない手話」などの意見へ
この間、このブログで紹介している手話について、「見たこともない手話」などの意見が寄せられている。
京都の手話、とあえて書いてきたが、全国各地を回らせていただいて数万のろうあ者と直接手話で話をしたことから考えると同じ手話、同じ意味の手話が1960年代頃から1970年代、1980年代まで全国各地で使われていた。
たしかに同じ手話の形態でも意味が違っていたことも多かった。
だが、話をすればするほどその手話の意味することが解り、理解し得た。
手話と手話の意味することの底流が同じ
それは、今まで京都の手話というテーマで掲げた手話と手話の意味することの底流が同じであったからである。
手話表現の意味する内容を熟知すればする程、その理解は速かった。
「制限」を解き放つコミュニケーション
だが、まったく異なった、見たこともない手話があったが、その地域の事情や文化、暮らしを知ることによって「見たこともない手話」を学び、理解出来るようになった。
それは、聞こえない、話せないなどの「制限」を解き放つ、生きている人の「生きた手話」、生きたコミュニケーションであったとも言える。
生きるからこそ、生きた手話が産まれた。
それを尊重し続けないのは、生きてきた手話を「死滅させよう」としているからであると書けば言いすぎだろうか。
生き続けた手話をひとつひとつ尊重することはとても多くの努力と学習が必要である。
生きた手話を無視して、あたらに「手話をつくる」ほうが時間と手間が省け、いろいろなことばに対応できるとする動きが濃厚になっている。
だが、それは生きた手話を否定するだけでなく、生きた手話、生きてきた人々の手話をも否定することになる。
生きた手話を遙か遠くに追いやってはいけないだろう。どのような理屈を付けたとしても。
口承について
口承(こうしょう)口頭伝承・口伝・口伝え・口伝伝承ということばがある。
歌いついだり、語りついだりして、口から口へと伝えること、あるいは伝えられたもの。
口承は、人から人もしくは世代を超えての情報伝達の手段であった。それらは。世界各地で今も継承されている。
この口承は、人間が集団を形成して自然発生的に産まれてきたものであり、それらは、世界的に普遍的であるとされている。
手話伝承、手話承と言ってもいいのでは
アイヌ民族の口承で伝えられてきたユーカラ・ユカラは、有名である。
口承と手話を考えてみた場合、1950・1960・1980年代まで手話は伝承されていた。
手話伝承、手話承と言ってもいいと考える。
ところが、その手話伝承、手話承が尊重したり敬意をはらうどころか、分断させらズタズタにされてしまってきているのではないだろうか。
その結果、「見たこともない手話」などの意見も出てくるのではないだろうか。
もちろん京都でも、「手話伝承、手話承」するろうあ者に対して「あなたの手話は手話でない」と否定され、苦しんで私に援助を求めてきたろうあ者は少なくない。