手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
手話の表現の意味合いを調べれば調べるほど深く広い意味がある。
それを、断定的に書くのは簡単であるがそのことはろうあ者の創り上げてきた手話へのある意味「冒涜」ではないかと思う。
さいわい私は、1960年以前の京都のろうあ者数百人と手話で会話をして、手話を学んだので強烈な印象が残っている。
印象と言うよりも感動だろう。
このことをこのように手話で表せるのか、という人間賛歌の共感と人間が持つ無限のへの賞賛と勇気でもあった。
その一部を今紹介し続けているが、ぜひみなさんで参考にして「手話の表現の意味合いを調べれば調べるほど深く広い意味」をさらに上書きしていただければうれしい。
参加。
参加する。
入る。
漢字の参は、 まじわって、かかわりあう、加わる、あずかる、の意味を踏まえて人差し指を右手の手のひらに∩状に動かして参加するの手話。
右手の手のひらを少し丸めと人々のいるところに参加するということで集会に「参加」の手話。
指導する。
これはすでに他の処で述べた。
よく喋る。
あちこちで喋る。
喋るは漢字で口に葉と書くことからもあって、口から手を広げて小刻みに動かして喋るの手話。
右向いて、左向いて喋っているので「あちこちで喋る」「よく喋る」という手話表現になる。
叱る。
だめ。
めんめ。
子どもを叱る時、親指を立てて子どもに「そんなことをしてはいけませんよ」という動作を手話で表したもの。
京都などでは「めんめ」と言った。