手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
手話を撮った写真の次への写真の間にある動きは、とても大切なものであるが、右手と左手などの位置を知って次の写真を見てほしい。
右手左手などの動きが、次の手話になるとスムーズに動かせるようになっていることが解る。
つまり繋がりをもって連続的に表現されている「証し」なのである。
手話で表されている「映画」は、右手の平と左手の平を上下に回して動かしフイルムの一コマ、一コマが動く様子で映画という手話を表現している。
ところが、 現在、よく見かける手話表現は、フイルムが切れて、一コマ・一コマ・一コマとなって、連続した手話表現になっていない場合が多い。
ギクシャクした手話とも言おうか。
明石欣造さんが、よく言っていたのは「ギクシャクした手話」は、とまどいやごまかしがある手話で、そこにはとまどいと自信のなさなどが解るということを想い出す。
(邦画で字幕がない時は)
映画を観る前にいろいろな本(映画 注当時大量に発刊されていた。時には、脚本が掲載される時もあった。)探して読んで解っておく。
会話などで解らない時は、筆談で聞いて、映画を観てなるほどなるほどとわかった。
するととても良い映画で忘れられなくなった。