手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

ろうあ協会運賃割引制度の実現へ 京都の手話

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手話を知らない人も

            手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

  1948(昭和23)年4月 盲学校・聾学校小学部への義務制が学年進行により施行。
 

  1949(昭和24)年5月 職業安定法の改正して身体障害者に対する職業補導等を規定。

 

        12月 「身体障害者福祉法」公布(18歳以上の障害者に,身体障害者手帳・補装具の交付,更生援護など規定)

 1952(昭和27)年3月 「身体障害者旅客運賃割引規程」を国鉄公示
 
と戦後の身体障害者福祉は「公布」されていくが、多くの問題が山積されていた。

 

 この一例が、日本国有鉄道国鉄)の身体障害者旅客運賃割引制度である。

 

 一種、二種と区別されるなどなど国鉄割引には、さまざまな障壁があったが、国鉄の割引制度であるにもかかわらず国鉄の割引証明書を民生課や福祉事務所にわざわざ行って証明印をもらって割引が受けられるというものであった。

 

 ろうあ者にとって福祉事務所は、国鉄の割引証明をもらうためだけのメリットしかないため全国的にほぼ共通して「福祉事務所」=「汽車・割引・所」と手話表現されてきた。

 

 決して、「福祉=幸せ・事務・所」とはされなかった。

 

 この問題の本質を突いた福祉事務所という手話は歴史的にも伝承される必要もあると考える。

 

 なお、国鉄の割引はあっても他の公共交通機関や私鉄の割引制度はなかった。

 

 明石欣造さんは、ろうあ協会を再建してこの問題に取り組んだことを述べている。

 

 特に京都市電や京都市バスの割引を実現していくが、暫時、私鉄の京阪、阪急、近鉄京福などなどにも働きかけていくが私鉄は私鉄の言い分で、各社一斉割引とはならなかった。

 

 だがしかし、ろうあ協会の運動がその後の歴史を変えていったことは事実だろう。

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  半額は、手のひらを真ん中に置いて半分・半額・割引の手話。

 

 電車は、この場合、日本の電線を人差し指と中指を伸ばして表し、右手の人差し指と中指を電線に沿わせて集電装置(パンダグラフ)を表し電車=電気鉄道として手話表現している。

 

 交渉は、親指(相手)に平手で近づけて、詰め寄る、押しかける、交渉するの手話。

 

  説得して、と書かれているが、「交渉するの手話」の相手を(この場合は人差し指)を倒して・打ち負かして、話をするという手話表現している。

 

 簡単に説得できたわけではないということが、手話表現にも出ている。

 

  頭にしまい込むという手話で、覚える。逆にすることで忘れるという手話であるが、この写真の場合、頭に残って(拳で表現)いるので忘れられない、記憶に残り続けるという手話になる。

 


 また身体障害者の半額(割引)は出来ていたが、電車・バスの割引はろうあ者は出来ないでいた。(難しかった。)そこで、考え抜いて交渉して了解させることに成功した(実現した)。日本で初めてのことだったので忘れられない。(頭の中に固く残っている。忘れられない事・記憶である。)