手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
しっかり。
意志を固める。
腹を固める。
すでに書いてきたが、こころ、気持ちなどは、腹で表されている。これは日本語では、腹を固める、なども言われる事から来る。
しっかりは、人差し指と中指を曲げて肩から腹の真ん中あたりまで動かして、固める、腹を固める、しっかり、意志を固めるとなり、ものが固まる事と区別している手話。
腹を固めた、という方が適切かもお知れない。
迷惑。
迷惑は、よくない意味を示す不都合などの意味で意味に使われている。
もともとは、迷は本当の道にまようこと、惑は途方にくれてとまどうことを意味している。
この言葉は、迷いとまどう、という仏教語ことからかなり以前から、「やっかいな目にあって困る」などのことも含めて「眼が閉ざされて」 迷う手話表現がされた。
「迷惑」迷惑かけましたすみません。
などの場合に手話が使われ、他人の迷惑行為を表されなかった。
未熟。
まだまだ。
未熟とは、技術・教養などが熟練していないことの意味を持つので、腕を手のひらで下に動かし=腕 右手を横にして、左手を上下に動かして、終わりに達していない=まだまだ、熟していない、終了していないでを合わせて未熟。
伝統産業に就くろうあ者達が、親方からよく言われたことであるが、この手話も京都ではよく使われた。
特、右の写真のまだまだ、は頻繁に使われた。
なんなんですか。
なぁーに!!。
どうして。
この手話もまた他の人々が物をたずねたりする時に使われたも身振り表現と同じである。
指さす場合もあるが、手を差し伸べる、は、相手の方へ手を伸ばす動作や様子を表す言い回しで、「助ける」といった意味で使われるが、この場合は、表情で手話の意味が変わる。
不可思議な顔をしているので、なにか?教えて欲しい=援助して欲しいという意味合いになる。
繰り替えし書くが、手話は唯一の意味合いではない。単純化して理解出来ない。ろうあ者が日本語の奥深い意味合いを巧みに取り入れてより自分たちの手話表現を創り上げてきた。
日本語と別立てに成立したものではない。
手話は日本語と別物とする考えは、ろうあ者が日本語の奥深い意味合いを巧みに取り入れてより自分たちの手話表現を創り上げてきたことを全面否定することであり、ろうあ者の創造的適応能力を否定するものでしかない。