手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

丸山浩路 さんと わいろ の話 日本最初の手話通訳付きテレビ放映をはじめたテレビ静岡  わいろ 京都の手話

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手話を知らない人も

                手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

 わいろ・賄賂。

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 わいろとは、自分の利益になるようと正当でない目的で金品を贈ることであるが、袖の下、ともされている。

 

 すなわち袖の下の袂もとに隠すようにそっと金を渡す動きがわいろの手話である。

 

 この手話は、かなり以前から全国各地で使われた手話である。

 

 故丸山浩路さんとは、手話や手話通訳をめぐってほぼ意見は一致していたが、1971年5月に行われた第四回全国手話通訳者会議で手話通訳保障をめぐる問題で私とかなり激しいやりとりをした。

 

 そのため手話や手話通訳の方法が彼とよくにていたからであろう彼と私は、ろうあ者からしばしば間違われて呼びかけられ、話しかけられていた。

 

 後に、丸山浩路さんは手話通訳者のギャラを高くしないと手話通訳が認めらられないからそういう主張をした。

 

 私は、そのギャラの意味は解らないでもないが、あなたの生い立ちから考えても貧しいろうあ者から法外なギャラを取ることは理解出来ない、むしろ国や行政が手話通訳者の身分保障をするべきとして要求することが大切ではないか、と何度も話し合ったが話は平行線のママだった。

 

 その後、彼は、1977年、NHKの「聴力障害者の時間」の初代メインキャスターとなるが、彼と再会した時に彼のほうからつかつかと寄ってきた。

 

 そして、NHKのテレビカメラの写り具合から服装がチエックされる。このピンク色のワイシャツを着ているのはそのためだとか服装を変えたことなどを言いつつ、不満げに次のように言った。

 

 丸山浩路さんの、わいろ、の手話はNHKの担当者からだめだと言われる。

 

 袖の下にお金を入れている。それは、わいろを受け取ったということになる。

 

 当時、ロッキード事件が連日報道されていて、わいろを受け取ったかどうかが問題になっている。

 

 この時に、手話でわいろをすると袖の下にお金を入れる=わいろを受け取った、となるので絶対その手話はNHKとして認められない、と言われたとのこと。

 

 そこで手話表現についての意見交換をしたが、結局、丸山浩路さんはお金・袖の近く(袖の下までお金の手話を入れない。注 写真右側のところまで動かさない。)としたとの報告があった。

 

 これは手話の問題ではなく、わいろという言葉そのものの意味合いであるにもかかわらず手話だけを問題にするのはじつに不条理な事であった。

 

 丸山浩路さんもそのように感じたから、私に心の内を吐露したのだと思う。

 

 その後、NHKの「聴力障害者の時間」では丸山浩路さん自身がどんどんと手話表現を変えているのを見て辛かった。

 

 わいろ。の手話を思うといつも彼との話が頭によぎる。

 

 なおテレビ放送に手話通訳を付けたのは、1973年1月28日テレビ静岡が日本最初であった。

 

 当時、手話についてテレビ局としては干渉はしないとディレクターが言っていた。

 

 なお、テレビ静岡が手話通訳を付けた放映をはじめたのは、フジテレビからやって来たディレクターがフジテレビ時代にアメリカに行った。アメリカのテレビでは手話通訳付きの放送をしていたにもかかわらず日本では放映されていない事への疑問と改善提案と強い実施要望があったからだ、とも聞いた。

 

 もっと詳細なことも聞いたが、省略する。