手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

違うように見えても共通性がある処まで深く考えないで手話を短絡的に単純に決めつけてはならない かしわ くじら 京都の手話

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手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー


  かしわ。

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 鶏の鶏冠と鶏の啄む様子を同時に示して、切るしぐさで「かしわ」の手話。

 

  鶏と捌(さば)くを組み合わせて手話表現していることから戦前からの手話表現だったことは解る。

 

  鶏肉のことを「かしわ」と言うが、その言われには歴史がある。

 

 くじら。

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 くじら(鯨)の手話は、いわゆる鯨の潮吹きを表現した手話である。

 

 鯨の背から息と共に生きよいよく飛び散る水しぶきを表してくじらの手話とされている。

 

 このくじらの表現について、各地で同じ手話表現があっていろいろと調べたことがある。

 

 宮城県男鹿半島の鮎川を訪ねたことがある。捕鯨基地があったがその地名の手話は同じくじらの手話だった。

 

 長崎も捕鯨で有名で郷土玩具にくじらが作られたり、くじらの歯の彫刻でも有名であったが、長崎でもくじらの手話は、潮吹きを表していた。

 

 手話には、地域的にさまざまな違いがあるが、宮城県と長崎のくじらの手話で表現する共通の基礎条件があると考えた。

 

 京都でそのはなしをしていたらもっと驚くことがあった。

 

 もうすでに亡くなられた京都北部の伊根に住んでいた未就学のろうあ者が身振り手振りでくじら漁の話をしてくれた時のくじらの手話が、やはり背中から潮吹きの手話(身振り)をしていたとの報告を受けた。

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 その未就学のろうあ者は、それまで他のろうあ者との接触や交流は全くなかったが、その後ろうあ協会の仲間や手話通訳者と出会って手話のを覚えていったとのこと。

 

  その未就学のろうあ者の話は、以下の通りであった。

 

 丹後の海を回遊するくじらを伊根湾に追い込んで、伊根湾の二つの島に網を仕掛けてくじらが逃げないようにして、仕留める、という話だった。

 

 丹後の伊根でのくじら漁を調べてみるとたしかに平安時代からくじら漁が行われていたという記録があった。

 

 宮城県の鮎川、長崎、京都の丹後の伊根。それぞれろうあ者の交流もなかった時代に同じ手話がされている。

 

 手話の違いが誇張されて強調する今日。私は、くじらという手話に籠められたろうあ者の見方や表現の共通性をもっと考えていかなければならないと思う。

 

 違いに目を奪われて、違うように見えても共通性がある処まで深く考えないで手話を短絡的に単純に決めつけてはならないと思う。