手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

福祉行政が無策であったそれゆえ 自分たちが生き抜くすべをもとめ

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手話を知らない人も

            手話を学んでいる人もともに
  {続投稿}ー京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

民生(福祉)行政の無策の中から

 

 社団法人京都ろうあ協会の事業として京都ろうあセンターが発足したのは、1969年10月、京都府立盲学校の講堂で設立されたとされている。

 

 だが、それは「儀式」であってその以前から京都ろうあセンターの仕事はすでにはじめられていた。

 

 さらにもっと以前から、京都ろうあセンターの仕事は民生(福祉)行政の無策の中で行われていたとも言える。

 

 福祉行政が無策であった
 それゆえ 自分たちが

     生き抜くすべをもとめ運動

 

 福祉行政が無策であったがゆえんにろうあ者の人々は、意識的にも無意識にも智恵を出し合って自分たちが生き抜くすべをもとめ運動した。

 

 「自分だけの利益」を考えない純粋な動機と運動があった。

 

 それだからこそ巨大な絶壁に見えた多くの困難がひとつひとつ手渡しで打ち砕かれて行った。

 

 つどい 助け合い 教え合い
 行動した京都のろうあ者・ろうあ協会

 

 それとともにろうあ者同士を支え合うコミュニケーションである手話が、自然淘汰されお互いの気持ちを伝えるものとして創造されていた。

 

 1980年代になって全国各地をめぐる中で京都のろうあ者の方々は、他府県といくつかの点で少なくない違いがあることに気がつく。

 

  健聴者ばかりの職場で
働いているのとまったく逆な立場が

 

 1969年4月。京都ろうあセンターに手話通訳の仕事をするようになると、健聴者とろうあ者一緒になってろうあ者福祉の仕事をするようになる。

 

 それは、毎日が意見の相違の連続を引き起こした。

 

 ろうあ者が、日常生活で健聴者ばかりの職場で働いているのとまったく逆な立場に健聴者が置かれるようになった。

 

 日々、健聴者とほとんど話すことがない労働。

 

 それまでの労働とまったく異なった労働が京都ろうあセンターではじまった。