手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{続投稿}ー京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
要求運動が進むにつれ大きな変化
ろうあ協会の私たちが要求を持ち寄り、要求を実現してこそ憲法が生きているという要求運動が進むにつれ大きな変化に気がついた。
ろうあ者同士にあった「ねたみ」「しっと」「悪口」が「教える」「学ぶ」「教え合う」と様変わりしていったからである。
学びあう、教えあう中で人間は大きく変わる。
「なるほど」「へー」「そうだったん」
「教えてくれてありがとう」
「お互いさま」
手話の「なるほど」「へー」「そうだったん」「教えてくれてありがとう」「お互いさま」など「ありがとう」「お互い」が飛び交った。
この手話表現に魅了された。
お互いは左右の腕をクロスして親指と人差し指を閉じる=同じ クロスさせて表現するのであなたも私も同じ=お互いさま (あなたも私も一緒)の手話表現である。
ろうあ者が学び合う場が保障された
1960年代末。高齢のろうあ者は「手話」でなく「手まね」という手話をすることを教えてくれた。
人差し指をぐるぐると回す表現ではなく、両手の手のひらを回して、それを頭の中に入れるという表現だった。
「手話」「まねる」という組み合わせが、「手まね」という表現だった。
ろうあ者が学び合う場を京都府・京都府教育委員会社会教育課がろうあ者成人講座などとして保障してくれた。
地域によっては1年間に1,2回であったとしてもこれは画期的な出来事であった。
未就学の人も高等教育を受けた人も含めてこのろうあ者成人講座が開かれた。
このとり組みはろうあ協会の努力の結晶である。