手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃のことから}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
ならない黒電話を前に
電電公社に到着して息つく間もなく必死になって電話を引くための手続き。
電電公社の人が言っていることはややこしくて手話通訳するのが難しく、ノートに書いたり、指さしたりしたが、大矢さんは分かった分かったとうなずく。
なぜかヘンな、理解しがたい気持ちだった。
電話番号が分かってろうあ協会の人に前もって知らせた。
電話工事の日。
電話配線、黒電話。通話確認。電電公社の人は工事終了と言って帰った。
電話が開通した
かかってくるだろうから通訳して
「電話が開通した、かかってくるだろうから、通訳して」と大矢さんに言われた。
待ったけれど、待てど暮らせど、電話のベルが鳴ることはなかった。
1日、2日が経っても同じだった。
大矢さんも私も「おかしなあっ」と言っていたが、数日後になってその原因が解った。
聞こえないから電話できない
という当たり前のことを
ろうあ協会の電話設置。ろうあ者によるろうあ者の電話。1日経っても、2日経ってもかかってこない。
聞こえないから電話できないという当たり前のことを私もきこえない大矢さん自身も気づかなかったのである。
電話がついたら、電話がかかってくるもの、と思い込んでいた。
そのことに二人とも2日ほどして気がついた。
「聞こえないろうあ者は~」といっも言っている大矢さんでも気づかなかったのである。
「聞こえないろうあ者は~」と言うのは、本当にみんなの気持ちを汲んで言っていることではない、と言う私に大矢さんはうな垂れてしまった。