手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
警察はFさんは○○店へ行かないようにと考え、Fさんは○○店へ行くのは当然だ、と話は進展せず、時間はムダに過ぎ去る一方だった。
私はFさんとゆっくり話し合う必要も感じたし、Fさんも、いつまでも警察箸にいるのが辛くなりともかく「○○店に迷惑をかけない」ということを約束をして警察署を出ることができた。
それからが大へんだった。
もしもお前が困った時
○○親類にたよっていきなさい
Fさんの話によると、Fさんは幼少の頃、養子になり姓が変わったがそれ以前は○○と言っていた。
実の母親が死ぬ時、Fさんを枕元に呼び
「もしもお前が困った時、○○親類にたよっていきなさい」
と言ったとのこと。
だからFさんも本当の親類は、○○という姓であると心に刻みつけた。
実の母親の死に際に言った通り、困ったので○○店を訪ねたのだと言う。
けれど、○○親類かどうかぜひ、もう一度確かめてほしい、とFさんとAさんも懇願した。
「本当」「本当」「本当」と
手話で語り ガックリと
話を聞いた○○店は協力してくれて、自分たちの戸籍を次々ととり寄せてくれた。
一方Fさんの戸籍をとり寄せた(この当時は可能であった。)。
親類関係を調べたが、○○という姓は同じでもFさんと○○店の人々と血縁関係は全く無いし、Fさんの親類はすべて死亡していることが明らかになった。
何十年も以前にろうあ者が生きていくために親類をたよるしかないと判断した母親の最後の言葉。
そして、それを唯一頼りにして生きてこなければならなかったFさん。
すべてが判明した時、Fさんはもう一度「本当」「本当」「本当」と手話で語り、ガックリと肩をおとした。
突然苦しみ
ひっそりと死んだFさん
その後、数回の話し合いの中で定職につけるようになったさんは、A子さんとろうあ者同士の人間的な触れ合いを深めていった。
ところが、その後、Fさんが突然苦しみ、ひっそりと死んだ話がA子さんから報告があった。
見えてくる
社会の非情な荒波
Fさんの生き方には多くの非難することがあったかも知れない。
Fさんの思い込みかも知れない。
だが、「本当」「本当」「本当」と手話で語り、ガックリと肩をおとした姿から見えてくるのは、実母の残した言葉を唯一こころのよりどころとして生きてこざるを得なかった社会の非情な荒波だった。
泥沼の中で実母の死に際のことばを唯一の支えにして、黙々と生きてきたFさんの人生にかぎりない愛着を覚える。