手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
歯科医の帰り道。
二人で転げ回って笑い続けて、「お尻」「パー」を繰り返した。
歯科医がなんと解りやすく説明をしてくれたことか、うんこと一緒に差し歯が身体から出る、とすべてが解ったと。
それからIさんと話し合うことがたびたび会ったが、会うたびに「パー」の話になって笑い転げてから、話し合ったり、手話通訳したりした。
勉強しようにも
うるさすぎて出来ないよ
Iさんの家は小さな家だった。
家のすべてを西陣の織機が占領し、今は京都の西陣界隈ではほとんど聞こえなくなった機械音が鳴り響いていいた。
息子が勉強しないで遊んでばかり困るというIさんに、
「聞こえる息子さんなら家の中二階の部屋で勉強しようにも、うるさすぎて、出来ないよ。」
と言うと、
「へー、そんなにうるさいの。」
「どうしたらいいやろ」
などと言われた。
Iさんそれ何を織っているの
Iさんの息子さんとも話をするっようになった。
それから行くたびにIさん夫婦と冗談や手話表現のおもしろさや聞いた話、事実のあった話が尽きることはなかった。
ある日、ふと何気なしに
「Iさんそれ何を織っているの」
と聞くと、機械を止めて、西陣の着物の帯を今は織っている、と絹糸から織る行程すべてを説明してくれた。
すごく手間のかかる仕事であることが、手に取るように解った。
納期をせかされると、夫婦二人がかりで織機を動かし、交代して寝ることが出来ればましなほうだと説明された。
これが着物の帯なんか
織りあがりつつある金糸、銀糸に彩られた薄暗いIさんの家。
色鮮やかな帯がひときわ光り輝いて眼に飛び込んできた。
これが着物の帯なんか、と感心していると柄や生糸の特徴や糸の太さ細さなど細かく説明してくれた。