手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
Iさんは、夫婦で一緒に戦争体験の話をしたいと言う。
二人そろって撮影が始まった。
もとても裕福な家庭で育ったIさん
Iさんは、京都北部の山間の加悦町の生まれ。
加悦町ではとてもとても裕福な家庭に生まれたと言い、家族全員の写真を見せてくれた。
大家族の後ろには、大きな表彰状が次々と欄間の上に掲げてあった。
ひときわ大きい表彰状は、「天皇陛下からいただいたものだ」とIさんは指さした。
よく聞くと丹後縮緬(たんごちりめん)を一手に引き受ける商家で大金持ちだったとのこと。
Iさんの子どもの頃の写真は豪商であることがハッキリ解った。
あらゆる病院に連れてくれて
ろう学校に入学させてもらえて
寄宿舎生活をさせてもらえたが
だから、自分は耳が聞こえないことが解って、親はあらゆる病院に連れて行ってくれた。
結局よくならないので、汽車に乗り遠くの京都まで行き、ろう学校に入学して、寄宿舎生活をして、休みの度に加悦町の実家に帰ったことを思い浮かべることもなく次々と話してくれた。
家が貧しく
その日暮らしが精一杯
医者も行けず
幼い時から働きづめ
Iさんの奥さんは、裕福な生活とまったく逆な生活だった。
京都北部の海に面した岩滝町で生まれ。
家が貧しく、その日暮らしが精一杯で、耳が悪くても医者にも行けず、小さいときから仕事ばかりの生活をしていた。
小学校は地元と聞いていたが
3年前にそうでないことが解った
小学校は地元。と聞いていたが、手渡された小学校の写真を3年前に岩滝小学校出身の人に見せると、岩滝小学校ではないと言う。
岩滝から離れた小学校であることが判明したが、Iさん夫婦は他界していて確かめることは出来ない状況だった。
二、三度岩滝町などに行って調べてみてあることが‥‥‥推測することが出来た。