手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
身分が違うと大反対を押し切って
駆け落ちして京都に
丹後小町で知れ渡っていたIさんの奥さんのところには、数知れないほどの結婚話が持ち込まれた。
「でもね、私は聞こえないもの同士では話せて生きていけることが一番の幸せと思っていたからすべて断ってもらったの。」
と奥さん。
Iさんの家は、身分が違うと大反対。
しかも
「聞こえないものと結婚するなんて許せん。聞こえる人といくらでも結婚出来るではないか。」
と家族、親類の大反対があった。
二人の新婚旅行で 最初で最後の旅
Iさんは自分の家との縁を切られてでも結婚したかった。
着の身着のままで奥さんをつれて京都に来た。
奥さんは初めて汽車に乗る喜びで、不安はなかった。
保津峡をうねうね走る国鉄山陰線の景色を見るのは初めてでとても美しくてきれいだった。
嬉しかった、汽車に乗れて。
それが、二人の新婚旅行で、最初で最後の旅。
後は働きづめの二人の生活。
二人の気持ちを切り裂くものは
何もなく残ったのは
二人を結びつけたるだけのものだけ
「私はもともとなにもない家で育ったから、なーんとも思わなかった。けど、ご主人は」
と言うと、Iさんは、「同じ」「幸せ」の手話を繰り返した。
なにもない家で育った奥さんと有り余る贅沢が出来た家で育ったIさん。
二人の気持ちを切り裂くものは何もなく残ったのは二人を結びつけるだけのものだけだった。
同じ聞こえないという深い絆だった。