手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
「アインシュタインの眼」の放映で、カイコ(蚕)が糸をはきながら繭を作る様子をコマ撮りカメラ、軟性内視鏡レンズ、ハイスピードカメラ等を使い撮影した様子が放映されていた。
蚕が、頭を8の字を描きながら、2日間で1000メートル以上もの長さの絹(シルク)を吐く放映。
その蚕の頭の動きとはき出す二本の液体状が絡み合う様子は、まさにIさんの「人差し指と中指」の動きとまったく同じだった。
蚕の頭の動きと
はき出す二本の液体状が絡み合う
Iさんの「人差し指と中指」の動き
Iさんの「蚕」は、「白い」・「虫」の手話表ではなく、唇の下に人差し指と中指をあてて、「上下に動かす」ことではなく、人差し指と中指を「交叉にうねうね」と動かす手話。
Iさんの「蚕」の手話は、ハイスピードカメラ等を使い撮影した動きとまったく同じで驚愕以外の何物でもなかった。
ハイスピードカメラなどと同じような眼で蚕の繭を作る様子を見ていたIさん。いや、Iさんミクロな動きをきちんと観ていた。
それを表現したろうあ者の人々の手話。
奥深い手話表現の意味
「二本の液体状が絡み合う」ことで絹糸の品質が決まる、と言われるその瞬間を写し取って手話にする。
微細で、瞬間を捉えて、それが生活に関わる意味合いがあることを籠めて、表現する手話。
あまりにも見事さに、奥深い手話表現の意味を知った。
Iさんたちの蚕という手話表現は、京都ではほとんど知る人はいなくなっただろう。
手話に籠められた生活や
哀しみ苦しみ
それでも大笑いする人生
養蚕農家、丹後縮緬、西陣織、さまざまな行程でろうあ者が働き、日本の経済を支えてきたものは消え去ってしまった。
でも、このIさんの手話に籠められた生活や哀しみ苦しみ、それでも大笑いする人生は知ってほしいと思う。