手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

「とても不可能だ」と思われてきたことを可能にした あの「娘さん」

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手話を知らない人も

                    手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  出会ったやろうあのなかま

 

 その時の聴覚障害者の施設いこいの村の所長は大矢さんだった。

 

 さっそく出会って大矢さんと話をした。

 

 大矢さんはにこにこして

 

「出会ったやろうあのなかま」

 

とすぐ言ってきた。

 

  この施設が出来て
いの一番にあの時のことを

 

 「この施設が出来て、いの一番にあの時のことを思いだして、……」

 

 大矢さんの話には喜びが溢れていた。

 

 「例の娘さん」は、いこいの村に入って次から次へと

 

「とても不可能だ」

 

と思われてきたことを可能にした。

 

 具体的にいくつもの例をあげながら大矢さんは説明してくれたが、出会った当時と比べても、信じがたいことであった。

 

 大矢さんも信じがたかったと言う。

 

 どのような障害であっても
 人間としての共通の発達のすじみちを
  通って自己を実現していく

 

 私は故田中昌人氏が1960年代初頭に発表した、

 

「障害のタイプによって発達のすじみちがちがうのではない。どのような障害であっても人間としての共通の発達のすじみちを通って自己を実現していく。このすじみちは偉大な学者といえどもとびこすことはできない。
 別のすじみちを通ることもない。
どんな障害をもっている人でもこのすじみちの中にある。
あなたも障害児の発達のすじみちを通ってきたのである。
ここで大切なことは人間はすべて同じ道を通っているのだということである。
つぎに大切なことは、同じ道を通るのだが、その人あるいはその人をめぐる諸条件によって、人間はだれしも、その道のどこかの曲がり角などで一休みしたり、もつれてとどまったりするのだということである。」

 

と言う言葉と意味を噛みしめ続けた。