手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
社協(注:社会福祉協議会の略称)から出ている助成金が10月頃決まり、実際手に入るのは年末問題で、山城ろうあ協会の事務局長は、
「しかし、月給1万5千円そこそこで生活させられている上、活動もしなければならない僕たちのことを考えておられるのか。
見えない目。不自由な手足。聞こえない耳で、毎日夜おそくまでやっているのですよ。一日の仕事のつかれの上に。ここの仕事は何ですか。上司の命令をそのままておちなく、ぬかりなくかたずけていけばよい。
事務的に処理していけばよい。そんなことで、身障者の福祉はよくなりますか。
もちろん、僕たちも僕たちの組織である身障連をよくしていくようにがんばります。
けど、あなたの話をきいていれば、当然役所がやらなければならないことを、僕たちに押しつけようとされている。そんな感じですよ。責任転嫁ですよ。」
「そんなことはありません。こちらはちゃんとやっています。」
そんなことばかり こちらもやれない
あなたたちが
そんな役員を選ばないようにしたら
「じゃ今まで何をされ、これから何をされるのですか。ひとつひつと説明してください。行政指導のカントクも含めて」
「そんなことばかり、こちらもやれない。だから、あなたたちの方で、そんな役員を選ばないようにしたら。一体役員はどうして選んでいるんですか。」
助成金をぬかりなく配分
汽車の割引き券を出す
それだけが障害者福祉の仕事じゃない
「何がそんなことばっかりだ。これを(注:障害者福祉)やるのがここの仕事で、それをやってこそ、あなた方は税金で給料をもらえるのだ。
助成金をぬかりなく配分する。汽車の割引き券を出す。それだけが仕事じゃない。指導、指導おっしゃっている尻から、どうやって役員を選ぶのですか、だと。
そんなことわからなくても、今までよく指導して来られましたネ。我々に対する認識不足もはなはだしいですよ。重大な差別ですヨ。
一体福祉協ギ会というのは、どんな仕事をするところですか。一つきかせてください。」
すると二人の女の人が一枚のプリントを持ってこられた。
「社会福祉協ギ会とは」と印刷されたものであった。
10年前の社会福祉協議会
の印刷物で理解をせよとは
あとでわかったことであるが、これは、約10年前に印刷されたものであったらしい。
10年前の時代の行政を客観情勢の変わりにも無関係に今もつづけているらしい。
所長が病気欠勤とのことで、これ以上話しても口かけ論になると二人で相談して帰ることにした。