手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
京都府教育委員会のろうあ者成人講座で料理を教えてくれるのが、本当の大学教授の先生。
「ええ、あんな立派な先生に教えてもらっていいの」
また、また、ろうあ者は立ちすくむ。
どうぞどうぞ
いくら汚してもかまいませんよ
大学の先生は、手話通釈でそのことを知って、
「どうぞ、どうぞ、いくら汚してもかまいませんよ。」
「心配しないでください。」
「早くおいしいものつくっていただきましょう」
と言われる。
老いも若きも、男も女もみんなエプロンがけで、大学の立派な調理台や道具を借りて、大学教授の話を熱心に聞いて、料理をはじめる。
料理をはじめると、心配は吹き飛んで、次から次へと大学教授の先生に質問する。
先生はてんてこ舞い。
そして、昼食。おいしい、おいしい、と言いながらお腹が満腹になる。
非常に悲しい話をしているのに
笑顔と大笑いだけが残って
そうなるとなぜか不思議に、昼からの「みんなの苦しかったこと、悲しかったこと、どうしたらいいのか悩んでいる事などが話す」はずの交流会が、「苦しかったこと、悲しかったこと、どうしたらいいのか悩んでいる事」を言っているはずなのに、言っている本人も聞いているみんなも、笑顔になって、大笑いするようになる。
非常に悲しい話をしているのに笑顔と笑いだけが残ってしまって、「あっーすっきりした」と言って、来たとき以上にみんなで教室の何もかもきれいにして帰って行く。
これが、ろうあ者成人講座だった。