手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
1969年頃にろうあ者成人講座に行くと、あの人も、この人も、向こうのあの人も、いろいろな働きかけの中で参加するようになってきたのだ、とKさんから言われた時はとても、とても、信じられない状況だった。
ろうあ者成人講座の
参加者が増えるということは
仲間が増えることなんだ
努力、とひと言で言えない努力を繰り返し、積み重ねながら、ろうあ者成人講座の参加者を増やしてきた。
参加者が増えるということは仲間が増えることなんだ、とKさんが言ったときには、脱帽以外の何物でもなかった。
ろうあ者成人講座の手話通訳をしていて驚いたことがあった。
手話通訳をすると、一斉にみんなが隣に座っているろうあ者に手話や手振り、身振りをすることであった。
それは、おしゃべりや雑談でもなかった。
未就学であったろうあ者に講演の内容を
「伝えて=通訳」していた
未就学であったろうあ者に講演の内容を「伝えて=通訳」していたのだ。
ろうあ者成人講座の講師が「暮らしにくくなっていますが……」と話をすると手話通
訳を見て、となりのろうあ者に「はたけ耕す」「しかめっ面」や「物をつくる仕草」「お金」「ない」「しかめっ面」などなど多様に表現して相手に伝えて、手話で「暮らし」+「難しい」とする。
または、次から次へと「絵」を書いて、絵で話されていることを知らせて行くのである。
すると「はたけ耕す」「しかめっ面」を見ていた未就学のろうあ者が、「うん」「うん」とうなずいて、手話の「暮らし」+「難しい」をそのまままねる、そのことが絶妙に行われていてただただ感嘆するばかりだった。
手話も分からないろうあ者に
講演内容を「絶妙に伝える」ための方法が
だから、手話通訳をして「暮らし」「難しい」・「食べる」「難しい」として、「同じ」と手話表現していくようにした。
手話も分からないろうあ者に講演内容を「絶妙に伝える」ための方法が会場では花咲く。
このような、教え合い、学び合いの光景は目にしたことはなかった。
未就学の隣に座る人は前もってろうあ協会の中で相談されていた。
家が近くの人。
同じような仕事をしている人。
かって自分も未就学でコミニケーション手段を持たなかったが、ろうあ者成人講座を通して成長し学び、少しずつみんなと会話が出来るようになった人 。
ろう学校を卒業した人。
ろう学校を途中でやめざるを得なかった人。
それらのろうあ者が、参加者の状況に応じて配置されていた。