手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
保険証書の裏書きに削られた痕
ご主人が、見ていた保険証書をひっくり返して、私に見るようにという身振りをした。
と、とたんに奥さんが、ある一カ所を指さして身振り手振りからもなにを必死に伝えようとしはじめた。
ご主人は、そう慌てるな、落ち着いて、と言っているように見えた。
二人だけのコミニケーションが存在していた。
奥さんの指さす部分を見ると、どうも削られた痕がある。それが一定の帯状になっている。
なんだろう、これは、と思った。
「これ、こんなようになっている。」
「おかしい」
奥さんは、次第に落ち着いてきたようで、どうも、
「女」「これ」「持って行く」「返す」「これ、こんなようになっている。」「おかしい」と
訴えているようであった。
聞こえないし、声がことばにならないし、書けないし、読めないし。でも、見たことを伝えていた。
たしかにおかしい、と考え込むと、夫婦は、にこにこして喜びだした。
言いたいことが通じた、と言う喜びだったんだろう。
だが、私は頭を抱え込んでしまった。
身振り手振りで、この証書に関係する書類は?とこちらも必死で「話しかけ」た。
切々と伝わってくる子どものために
通じたののだろう。保険の申し込みなどの束ねたものが出されてきた。
書類を読んでみた。
丁寧に丁寧に順番よく綴られていた。
申し込んだ日からずーっと保険金が支払われていた。子どもさんのために。
夫婦が、一生懸命生活を切り詰めて支払われていることが綴られた書類が語ってくれた。
それとともに、子どものために、という思いが切々と伝わってくる。
必要事項をノートに書いて、頭を下げて帰る時、私の万倍も頭を下げられて、街灯がポッン、ポツンとあるたんぼ道を歩いて帰ったが、歩く度に次第に悔しさが胸一杯になってきた。
個人の生活まで踏み込んではならない
の一点張り
翌朝、市役所で事の次第を話し、調べてこのことに取り組みたい故を説明したが、行政は個人の生活まで踏み込んではならない、の一点張りだった。
そうだろうか。