手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
田舎の田舎の中学校をでて
なにも知らんからな
青年の置かれている状況も考えて
「福祉でやれることがあれば、本人さんに連絡します。」
と言うと、
「会社の責任と思わないようにな」
田舎の田舎の中学校をでて、うちの会社に入ったばかりやからからなにも知らんからな。」
と労務担当者として露骨に言ってきた。
青年がすべてを知っていたら、ただですまないことは、解っていても田舎から大企業に就職出来たありがたみを知っているからそんなことは絶対ないというような言い方。
保険証書事件を何ら反省していないばかりか、妻も夫も障害者の「弱み」につけ込んで横行している。
事故で、休めてお金を貰えるなんて…
市が誘致した大企業のことは「あんじょうせんと」という雰囲気の市の行政。役所も「つるんでいる」と思われても仕方がない言い方が横行した。
なにが、「あんじょうな」なんや。
切断された右腕が戻るための「あんじょうな」ではなく、黙らせるための「あんじょうな」。
青年の気持ちを考えて労務担当を抜きに幾度となく話し合った。
田舎から大企業への就職。
みんなに励まされ、一生懸命働いてきた。
会社と寮の往復。
街に出たこともない。
お金は仕送り。
今度の事故で、休めてお金を貰えるなんて…。青年の話にことばを失った。
身体障害者のスポーツ大会
え 出られるんですか旅行も行けるんでか
彼は、スポーツが好きで走ることは楽しかったという。
そこで、身体障害者のスポーツ大会に出てみないか、と言うと、「え、出られるんですか。旅行も行けるんでか。」との返事。
リクレーションもあることを言うと「ぜひ参加したい。」と言い出した。
それから、大会要項、申し込みなどの手続きを一緒にしたが、生真面目な青年は早速練習を始めていた。
右腕が奪い去られたことを
次第に実感して
そして幾度も
「右腕がないと前のように走れない。」
「バランスがとれないで、まっすぐ走れない。」
と悩みを打ち分けてきた。
右腕が奪い去られたことが、次第に実感して悩みが増えたようだった。