手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
右腕が奪い去られた青年は、京都府身体障害者スポーツ大会から全国大会に出て、金メダルを持って帰ってきた。
宇治市長への報告をする表情は、金メダル以上にまぶしかったが、その輝きに寂しさを感じざるを得なかった。
福祉と労働の問題を絶えず突きつけられて
それ以降、全国大会で知り合った障害者とともに障害者団体の集まりには青年の姿がいつもあった。
腕をもぎちぎられた青年の姿を見る度に、福祉と労働の問題を絶えず突きつけられてきた。
労働災害害補償。すなわち大企業の労務担当者は、青年のもぎちぎられた腕を労働に起因するのに労災補償をしないことで大企業の責任を免れようとした。
労働災害補償では、本人の治療補償や休業補償はもちろん休業補償もあった。
もちろんその補償や内容はともかくとしても労働災害補償に基づく障害年金も支給された。
労働災害補償に基づく障害年金の金額は、障害年金よりも多かった。
安全管理体制の問題を
「隠す」ことは許されない
福祉の分野で事を対応するという体質
労働災害で障害者になったのに障害者手帳の申請と厚生年金の障害年金で事を済ませて、企業の安全管理体制の問題を「隠す」体質は許されないものがあった。
市が誘致した大企業だから福祉の分野で事を対応するという体質が福祉の分野であった。
この重大な問題は、現在までに到っても「放置」されているように思えてならない。
長時間労働。過労死。労災隠し。底流に流れる事とそれをなくそうとする鬩ぎ合いは今日までも続いている。
宇治市手話言語条例を
単に手話だけの問題としてではなく
障害者団体の集いは、青年を元気づけたが、「田舎の田舎の中学校をでて、うちの会社に入ったばかりやからからなにも知らんからな。」と本人が知らないことをいいことに、問題を隠すことは結局、宇治市手話言語条例を単に手話だけの問題としてではなく
「生活を営むために欠かすことのできない意思疎通を図るための手段」
「国際連合で採択された障害者の権利に関する条約」
「障害のある人もない人も相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現を」
「相互に人格と個性を尊重することを基本理念として」
などのことを包括した事として捉えていかなければならないこととして提起されている。