手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

人間性回復の話し合い 忘れるなかれ「優生保護」などの不当と闘ったろうあ協会の歴史

 f:id:sakukorox:20180513152740j:plain

手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  ものごころがつかないうちに不妊手術がされていた、盲腸の手術といって病院に連れて行かれたのが、不妊手術。 お父さんやお母さんは、私を騙した。荒れる怒り。

 だが、このことは単にあるろうあ者の個人的なことではないこと理解が出来て、怒りの矛先が原因に向けられるようになったのはろうあ協会の話し合いであったとも言える。

 

 この人間性回復の話し合いの一部は、記録に留めておくべきだろう。

 

 お父さんやお母さんは

     私を騙した、と言うが

 

  ものごころがつかないうちに不妊手術がされていた、盲腸の手術といって病院に連れて行かれたのが、不妊手術、 お父さんやお母さんは私を騙した、と言うろうあ者のに対してある子どもを持つろうあ者は次のように言った。

 

 今、私は、お父さんやお母さんは私を騙した、ひどい目に遭わせたと子どもに責め立てられている。お父さんやお母さんを責め立てるだけでいいの、と。

 

聞こえない人が
私たちを理解していないと言いながら私は

 

  子どもたちは、ものごころつく頃から他の親がすることを子どもなりに必死になってやって来た。

 

 聞こえる子どもが生まれ育ったと知って電話を引いたが、その電話を受け取り、私に知らせってくれるのは子どもだった。

 

 親の私が当たり前だと思っていたが、ずーっと後で、何を言っているのか解らない、理解出来ないはなしをお母さんに伝えるのはとても苦しくて負担だった。

 

 こんなことはもういや、だと思いそんなことがたくさんあって、つもりに積もって、お母さんが嫌いになった、と子どもに言われた時‥‥‥

 

 私は、聞こえない人が私たちを理解していないと言いながら、自分の子どものことを何も考えないで当たり前のようにしていたことに頭の中が空っぽになった。

 

  子どもは、大きくなると家を出たまま帰って来ない。

 

 思えば、あれもこれも子どもに負担をかけてばかりだった。

 

聞こえない女の子だからと
  ひどい目に遭ったことを

 

 お父さんやお母さんがひどい目に遭わせたと言うのは、そうでしょう。でもそれを言うのは簡単。

 

 それで、気持ちが晴れるの、すっきりするの。

 

 同じ苦しみをもっようなことが無くなるの。

 

 騙した、黙っていたお母さんも悪いけれど、お母さんがそこまで追い込まれたのはなぜか考えたことがある。

 

 あなたも知っているでしょう。

 

 聞こえない女の子だからとひどい目に遭ったことを数えきないほど。

 

 妊娠させられたことも。

 

 お母さんは、そんな話は非常に敏感に考える。

 

 許せない、聞こえない女の子だからとひどい目に遭ったことが次から次へと隠されて、それをいいことに被害が広がったことを。

 

 私たちは、深く考えなければならないが、それをなくす取り組みが出来ているのではないでしょうか。

 

  このような話は留まることなく続けられた。