手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
辛い時間。哀しみの時間のみが一瞬永く流れた。
ことを荒立てないでお互い支え合っていた
聴覚障害のお母さんたち
だが、お母さんの言うことばの端々から身体障害者手帳を申請するときに「先天性○○○」と医者から言われて何も言えなかったことやその後沸々とわき上がってきたあらゆる感情をぶちまけていることが見て取れた。
お母さんは、自分の子どもが口話で普通校で充分学習出来て、好成績であるといつも他の聴覚障害のお母さんたちの方に「自慢」されていることはよく知られていた。
でもその内実は、他の聴覚障害のお母さんたちは充分承知していたが、事を荒立てないでお互い支え合っていた。
見るに見かねたお母さんが
いくら障害名を変えても、同じよ
福祉事務所の窓口で、お母さんは長く泣かれた。みんなは戸惑うばかりだった。
気持ちには共感出来ても、言いようもない時間と哀しみと怒りの空間。
人垣の輪はどんどん大きくなった。
見るに見かねたお母さんが、泣いているお母さんの所ににつかつかと寄って
「うちの子も同じ障害名やけど…」
「いくら障害名を変えても、同じよ」
どんな名前にしてもいつしょ
悪くとる人は悪くとる
「悪くとる人は悪くとる。どんな言い方しても、どんな名前にしてもいつしょ。」
「私は、このことで動揺したり、責任を感じたりしない。子どもにもきちんと説明出来る。」
「もう、帰ろう」
と言われた。
すると他のお母さんも
「そうやで、同じ、同じ、そのことにこだわらんと生きて行かんと。」
と言い始めた。