手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

北部の盲聾関係児童の唯一の教育施設として府民の愛顧を受け育ってきた

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  手話を知らない人も

              手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介


( 資料 舞鶴聾学校の中学部廃止が京都府議会本会議でどのように問題にされたか
1981(昭和56)年 12月 舞鶴地方府会議員の盲聾分校について京都府議会本会議質問より一部のみ抜粋  )

 

府会議員
 きょうは舞鶴盲聾分校、特にろう学校中学部廃止の措置並びに教育委員会のとってきた経過等含めて疑問点についてただしておきたいとおもいます。

 

北部の盲聾関係児童の唯一の教育施設
として府民の愛顧を受け育って

 

 宮津舞鶴、福知山等、北部の市町村がそれぞれろう学校の必要を求められて、昭和24年に舞鶴市身体障害者福祉連合会が発足すると同時にその会の重点項目としてろう学校の設置が取り上げられ、自来その強力な運動にこたえられて昭和27年3月に臨時教育委委員会の決議として舞鶴聾学校の分校の設置が決められ、日赤の移転後の仮庁舎からスタートして盲聾分校が発生いたしました。

 

 自来、今日まで北部の盲聾関係児童の唯一の教育施設として府民の愛顧を受け、育ってきたわけでありますが、校舎が老朽してまいりまして、56年前後から全面改築という要望が出てまいりました。

 

 聾学校の父兄の方々と中学部統合についての要望を聞き、あるいは懇談会に参加してまいりました。

 

中学部統合は教育よりは児童の発達に
    影響するのではないかという心配

 

 これらの中で一番強調されたことは、教育効果もさることながら、盲学校の児童の場合には電話ですべてコミニケーションがとれるが、聾学校の児童の場合には口の動きを見る、目と目で合うという話し合いの中でないとコミニケーションがとりにくい。

 

 したがって本校統廃合の場合にはどうしてもそのことができにくくなって、教育よりは児童の発達に影響するのではないかという父兄の心配が強く、できたら義務教育中学部までは家庭の近くに置いてほしいとか、あるいはぜひそういった意味で中学部を存続したまま学校改築をしてもらいたいとかいう要望がきつく出てまいりました。

 

 これに対して京都府教育委委員会は「それは親離れが出来ていないのだ」と、「障害児であっても適当なときには親から離れさす、そして学校集団の中で教育をせしめていくことがより効果的だ」という自信と確信にあふれた発言でありました。

 

聾学校の寄宿舎で母親が子供
と面接される場所をつくりと言ったのに
 
 私は教壇に立ったこともなければ、教育に携わったこともありません。

 

 人を教えるような資格は生まれつき持ち合わせっていませんので、これだけの確信と自信を持って言われれば、そのことが多分正しいのであろうと。

 

 だから逆に、母親の方々が言われていることの方があるいは子供を愛溺している行為ではなかろうかという疑問を持ちながら、教育委員会の行為、処置、それから父兄の心配等を理事者に伝えながら経過を見てまいりました。

 

 教育担当の荒巻副知事は「そういうことは事実でありましょう」と、「聾学校の寄宿舎に母親が子供と面接される場所をつくり、そして北部から金曜日の夜ぐらいに寄宿舎に入ってもらう。

 

 そして子供と接しながら土曜日の授業を参観して土曜日に北部へ帰ってもらって、日曜日という親子の接触を通ずる中で両立ができるのではないでしょうか」、というような意見の開陳も聞かしてもらいました。

 

理論、理屈だけの自信
教育委員会の実践  全然ゼロなのか

 

 ところが、いよいよ59年の11月23日付で京都府広報によって教育委員会はこの聾学校の廃止の布告をいたしました。設置規則の一部改正がされました。

 

 恐らく、私はそういうことのできた、そういう討議、親や周辺の方々の要望等を聞いてこういう布告をした教育委員会は、12月定例府議会に少なくとも聾学校宿舎の調査費か改築費ぐらいは補正予算で提案されてぐるのだろう、あるいは知事に対して予算要求されるのであろう。

 

 それを、あんなこと言っておった教育担当の荒巻副知事が削ったのかなという疑問を持ちながら12月定例府議会に参加させてもらいました。

 

 全然教育委員会から予算の要求もありません。

 

 そうするとこの布告は、理論、理屈だけの自信に基づいておるのであって、本件についての教育委員会の実践というのは、だれやらがきのう申し上げましたように、全然ゼロなのかという疑問を抱きながら聾学校の寄宿舎を見せてもらいに行ってまいりました。