手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
( 資料 舞鶴聾学校の中学部廃止が京都府議会本会議でどのように問題にされたか
1981(昭和56)年 12月 舞鶴地方府会議員の盲聾分校について京都府議会本会議質問より一部のみ抜粋 )
当時の身体障害者連合会の顧問の江守芳太郎さんの息子さんの光起さんが、代表質問でど最初に盲聾分校の寄宿舎についてはどうなっておるのかということを質問いたしましたのも、こういう父母の要望についてどう対処してくれるのかという、こういうことに隣地してきた地元議員の血の叫びであります。
維持修繕費でつくった間仕切りが
新しい寄宿舎?
行ってまいりました。
何と、半分、10人の部分については新しい寄宿舎が建つています。それと管理棟はできています。
ところが定員15人とおっしゃっている寄宿舎は木造の2階建て、古いものであります。
そして15人の定員を、入舎定員をつくるために一番奥の8畳の間の廊下に畳を敷いて、入口を廊下の端に切りかえることによって10畳5人という定員をつくり、そして養護室を2つに仕切って2人の定員の部屋をつくったということで15人の定員がつくってあります。
これは維持修繕費でつくった間仕切りであります。
そして教育長は、「卒業生が4人ありまして新しく入ってくる生徒が3人ですから江守先生心配しないでください」と、「明るく豊かな寮生活ができるでしょう」という答弁がされた。
こんなことで教育長は本当に、聾生徒の寄宿舎だという、定員が25名だといったようなことが、本会議場を通じて議員のまじめな質問に対する姿勢なのでしょうか。
私は疑問を抱いてなりません。
地元府会議員が「地元議員の血の叫び」と
反対した「統廃合問題」も強行
舞鶴盲聾分校の聾分校の中学部廃止・統合に地元府会議員が「地元議員の血の叫び」とまで言って京都府議会本会会議で反対した「統廃合問題」も京都府・京都府教育委員会の強行で押し切られた。
そして、さらに今度は特別支援教育(京都府教育委員会は、支援教育という名称を使っている。)の名の下に再び、舞鶴盲聾分校の統廃合の動きが強まってきていいる。