手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

京都ろうあセンター はなぜつくられたのか③ すべての道はろうあ協会の「つどい」に

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手話を知らない人も

                  手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 ろうあ者も「つどう」。

 

 ここにろうあ者の生活や要求や運動などあらゆる源泉があると知りつつあった。

 

今では考えられない苦労
  ろうあ者の方々がつどい

 

 その理論的根拠をもとめて学び続けて数十年後に一定の解明が出来た。

 このことは、今回は脇に置いておく。

 

 ろうあ者の方々がつどうのには、今では考えられない苦労があった。

 

 電話があっても使えない時代。

 

 ろうあ協会の人々は、手渡しでみんなが郵便配達員。

 

 一枚の「つどいの案内を渡す」のに何時間もかかることがあった。

 

 ほとんどが徒歩。

 

 仕事が終わって疲れ切った身体を闇の中に消える。

 

 ろうあ者同士会えれば話は弾むがが、会えなくても「一枚のつどいの案内」をポスに入れておく。

 

 この「一枚のつどいの案内」が動脈だった。

 

すべての道は
ろうあ協会の「つどい」に 

 

 すべての道は、ろうあ協会の「つどい」に通じていた。

 

 この数万、数十万回という手渡しの地道な積み重ねの繰り返しが、ろうあ協会の絆を次第に強く、信頼関係を強くしていった。

 

 この絆は、ろうあ協会の仲間はみな平等であるということだけでなく、ろうあ協会の会員でなくても、いやすべての人々が平等でしあわせに地下水路をはりめぐらせた。

 

 ここにろうあ協会の偉大さがあった。

 

 インクルージョンなどのカタカナ文字が溢れかえる現代より以前にすでに京都のろうあ協会は、それらをやり遂げていた。(以下、名称・表現は当時ののままで表記します。)