手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

手話通訳が違う手話をしたんだろう 本人がうなづいているのに 京都ろうあセンター はなぜつくられたのか ⑤

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手話を知らない人も

                  手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 ろうあ者の人が、「うなずく」ことは、「理解した」「了解」「解った」ということでないという教えは、その通りだった。

 

 だが、しばしばトラブルを引き起こした。

 

つい、うなずいてしまう

 手話通訳をしていると

 

「本人がうなづいているのに、そのあと違うことを言ってくるとは。手話通訳の、あんたが違う手話をしたんだろう」

「わかったといっているのに、なにをいまさらなにを言うのか」

 

と聞こえる人が怒鳴り、話を撥ね付けられることがあまりにも多すぎた。

 

 それを、見ていたろうあ者から後で

 

「ごめん、ごめん、迷惑かけて」
「つい、うなずいてしまう。」
「手話通訳がわかるという事なんだけれど」

 

と謝られる。

 

「かまへん、かまへん(京都の手話表現で)しんぱいせんと、言いたいことは言わんとなぁ、そのため手話通訳しているから」

 

と何度も言ったけれどろうあ者の人々は、恐縮していた。

 

 なんでも「はい、はい、」と言うように「躾け」られていた結果だろうか。

 

 手話通訳になれてきたろうあ者の人々は、次第にうなずくことはなくなって行った。

 

 このことは、ろうあ者の人々の暮らしには、大きな一歩だったのではないだろうか。