手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

ろうあ者の読み書き出来るようになりたいと「筆談教室」 京都ろうあセンター はなぜつくられたのか ⑥

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手話を知らない人も

                   手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

ろうあ者の多くの人々が

「読み書き出来る」

ようになりたいとねがっていた

 

 「あの人はかしこいろうあ者」と言うろうあ者の意味は、「内言語を形成している人か、どうか、」「読み書き出来るかどうか、」で「あの人はかしこいろうあ者」と言っていることがわかってくる。

 

 それは、ろうあ者の多くの人々が、「読み書き出来る」ようになりたいとねがっていたからである。それは心からの要求だった。

 

ろうあ者が文字を覚えて
自分の気持ちを表現する眼差しは真剣

 

 そのためしばしば、「筆談教室」が開かれた。

 

 当時、ろうあ者の文章には「てにをは」がないと言われてきた。書けても単語の羅列だと言われた。

 

  でも手話を学ぶと、「てにをは」がなくても言いたいことの意味はよく解るものである。

 

 そこで、言いたいことの意味を手話で確認して、それなら書き文字で表すとこのようになると文章の例を示した。

 

 その積み重ねを幾度と繰り返したが、いつもろうあ者が文字を覚え、自分の気持ちを表現する眼差しは真剣だった。

 

聞こえる人々文字も充分書けない
 その人が手話を覚えると

 

 最近、一部の聞こえる人々の文章?を見ていると「てにをは」どころか、文字も充分書けない人が多いので驚く。

 

 単語の羅列。

 

 それも充分がわかったつもりで書いているのだから、「イミフー」(意味不明)をめいめいの「主観」で思い込むので、しばしばトラブルになっている。

 

 また、そういう人々が手話を覚えるので混乱する。

 

「声を出さない」ことが手話ではない

 

 また日本手話と言って「声を出さない」ことが、ろうあ者のアイデンティティーとするろうあ者の人がいるが、その人の表情や喉の付近を見ていると明らかに「声が出るのに声を出さないで」いることが解る。

 

 そういう人に限って筆談を否定するが、内実は文字から情報を得ている場合がある。

 

 ろうあ者の多くの人々の要求が、「読み書き出来る」ようになりたいとねがっていた時代を想起すると、空しさを感じる。