手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介
1968年から京都ろうあセンター設立がすすめられたが、そのほとんどはろうあ協会とその協力者の寄付でまかなわれていた。
貧困にあえぐ中でもあえて、自分のこととしてではなく他の多くのろうあ者の人々のためにと身を切る思いでなけなしのお金を京都ろうあセンターの設立と維持のため寄付をした多くの人々。
またそれを理解して協力を惜しまなかった人々で、京都ろうあセンターは設立され、維持されてきた。
戦前戦後もろうあ者や障害者のねがいを
率先して対応する事はなかった国や行政
国や行政は、戦前戦後もろうあ者や障害者のねがいを率先して受けとめ対応する事はなかった。ろう教育も京都が発祥の地だとされている。
その歴史を観ると、国や行政がろう教育(盲唖院)に積極的に関与し、援助したことはない。
むしろ、民間の人々の努力では限界があるとして国や行政に働きかけ、陳情し、国や行政が陳情に対して「恩恵」的な対応をしたにすぎない。
忘れてはならないのは
自分のことではなく
多くのろうあ者の人々のためにと
忘れてはならないのは、自分のこととしてではなく他の多くのろうあ者の人々のためにと身を切る思いのろうあ者とそれを理解して協力を惜しまなかった人々取り組みである。
このことがなかったら国や行政何もしなかった事は間違いがない。
それは、現代でもその姿は変わらない。
陳状、陳情ではなく、国や行政が果たすべき役割を果たしてそれに対して関係する人々
が要求したり、改変させる事が、福祉の分野では特に大切である。だが、今だ恩恵主義が横行している。
制定された身体障害者福祉法に
京都のろうあ協会はいくつかの問題を指摘
戦後憲法下で、1950年12月26日に身体障害者福祉法が制定された。この身体障害者福祉法は戦前の圧政からの解放として日本の近代的な福祉行政への第一歩として障害者はもちろん多くの国民から大きな期待が持たれていた。
ろうあ者もろうあ者団体の活動・ろうあ協会の活動が一定援助されその期待は大きく膨らんだ。
しかし、当初から身体障害者福祉法にたいして京都のろうあ協会はいくつかの問題を指摘していた。