手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

哀しみと損失は膨大であったが希望は燃えさかって 京都ろうあセンターはなぜつくられたのか⑫

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手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介

 

 困りはてたろうあ協会は、これらの問題を引き受けてくれる弁護士を尋ね、弁護を引き受けてくれた著名な能勢克男弁護士に弁護を依頼する。1957(昭和32)年7月。

 

第二教室の立ち退きと裁判
   歴史に残すべき準備書面

 

 立ち退き問題は、調停に持ち込まれたが、両者の意見は対立。

 

 寺側は、1957(昭和32)年9月25日、京都地方裁判所に仮処分を申請。

 

 9月27日、京都府ろうあ協会が自己の事業のために勝手に事業場をつくったなどとする仮処分が執行された。

 

 これにたいして京都府ろうあ協会側は、直ちに仮処分決定に対する異議申立を行ったが、裁判所は、京都府ろうあ協会側の仮処分異議申立を却下。

 

 京都府ろうあ協会は1959(昭和34)年2月、京都地方裁判所

 

「被告協会がその事業場のために本件建物を所有している事を知りながら、その間の法律干係を調整すべき機会を故意に逸して、事後に於いてその得たる所有権を振りかざし、被告協会に対して強引且つ理由なく不法占拠と称して土地明渡若しくは建物去を要求し、被告協会の既得権を侵害して顧みぬのはその主張がきわめて不法であるか若しくは権利の乱用であります。」

 

などの準備書面を提出した。

 

 しかし、裁判は時間のみ経過し、結論がどうなるかが判明しずらかったため京都府ろうあ協会は苦渋の判断をして、方向転換を試みるように弁護士に依頼する。

 

和解せざる事態と
 ろうあ協会への侮辱と内部紛争

 

 結果的に1959(昭和34)年6月29日、和解が成立する。

 

 和解に基づいて京都府ろうあ協会は、三事業所の閉鎖、機器の一部を京都府身体障害者福祉センターへ管理委託、などなど山積する処理に追い詰められてろうあ協会内部でも紛糾する。

 

 だが、これらの一連の法的問題は、準備書面の指摘するようにろうあ協会が事業場の建物を所有していることを知りながら、後になって所有権を振りかざし、ろうあ協会に対して強引で、理由なく不法占拠と称して土地明渡、建物去を要求するという誠実に生き、生きようとするろうあ協会やろうあ者の人々の誠実な精神を踏みにじる許されないものであった。

 

 京都府ろうあ協会は、言い知れぬ屈辱を受けながらも、内部紛糾を徹底した話し合いで克服し、奪われた自分たちの夢と希望と事業を将来、必ず実現するという信念を失う事はなかったのである。

 

 事実、哀しみと損失は膨大なものであったが、希望は燃えさかっていた。