手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介
あえてろう学校教師の「いい加減さ」「美辞麗句をならべるだけ」で、自らの学校と自らの教育の改善を志向してこなかったことが、ろう学校生徒やその後の卒業生たちに大きな「影を落とした」と述べておく。
「いい加減さ」
「美辞麗句をならべるだけ」
「適当に」などの教師
「いい加減さ」「美辞麗句をならべるだけ」「適当に」などの教師は、時には良心的で教育を真摯に取り組んでいる教師を駆逐する。
だが、それは何もろう学校教師だけにあるとは思わない。
がしかし、少人数で幼児期から青年期にかけて一貫した教育をすすめる教育としての場であるろう学校の教師だからこそ、そうあってはいけないのである。
さらに普通学校の教師と比べてより高額な給料を得るなどの待遇が保障されてきた教師としても、もっと生徒たちの教育の創造的取り組みが出来る可能性は十分あったはずである。
それだけのろう学校の教師は優遇されていた事実を知っておかなければならないだろう。
教育の創造的取り組みに立ち向かわないで回避して、他の問題で評論することで教師の立場は免罪されるものではなかったはずである
当事者におかまいなしに
物事が進められる
東京のろう学校の大久保襄氏は、さらに例として
(例1)ろうあ者同志の結婚式。
聞こえる人だけのあいさつで、当事者がおきざり(つんぼさじき)にされている。こわいことである。
をあげている。1960年代、このような腹立たしいことは多く見られた。
結婚式は、当事者の結婚を祝うのに祝辞は音声だけで、同級生たちも手話ではなく音声で話すがマイクロフォンを通すので、音は割れて、とても聞きづらく、結婚する二人には話が通じているとは考えられないが笑みの表情を続ける場合が多かった。
(例2)まわりの人が、どんどん当事者におかまいなく、物事を進めてしまう。
保護はされるけれども尊重されない。
結果的に本人がダメになっていく。
この場合の保護の意味や本人がダメになっていくとする内容は、解らない。
しかし、当事者におかまいなしに物事が進められることはあっただろう。
ここでも例をあげているだけである。
では、どうしたらいいのか、
が、なぜか述べられていない。
述べられない
具体的工夫やsuppor
発表者の都立ろう学校には、教職員の中にろうの教職員が居たかもしれない。
いや都立ろう学校には居たはずである。
都立ろう学校では、ろうの教職員を含めてどのように物事を決めたり、進めたりする具体的工夫やsupportが行われたのか、が述べられていない。
教え子の子どもたちの結婚式へ
きこえの保障と改善提案は
大久保襄氏は、結婚式にろう学校の恩師として招待されたのであろう。
その結婚式に居ただけで、教え子の子どもたちに結婚式の様子を伝えたり、参加者に対して結婚式での、聞こえの保障、を提起したとは述べていない。
従って現状を追認していたと推測できる。
推測できるとあえて書くのは、もしも以上のようなことがなされていたならば報告として言い表せるはずである。
あたり障りのない
見て見ぬ振りをする傾向
~であったため~とした などなど。
総じて、あたり障りのない、見て見ぬ振りをする傾向、無難なことで終始していたと告白している報告であるとしかとれない。
以上のことを改善するためには、ろう学校教師の勇気と見通しのある取り組みが必須であったがそれはろう学校の教職員の対立とトラブルは避けて通れないことであった。