手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

京都の 手話通訳・障害者問題・障害児教育 の先駆者 第2回全国手話通訳者会議および通訳者研修会 1969年

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手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

京都の手話通訳・障害者問題

      障害児教育の先駆者

 

 第二回全国手話通訳者会議は、司会・まとめ役として当時京都ろう学校中学部の故村上忠正氏がその役を担った。

 

 京都ろう学校の村上忠正氏は、手話・ろうあ者問題に非常に精通していたばかりか、ろう学校授業拒否事件の時に問題解決の先頭に立ち、それ故、教職員内部で一番矢面に立たされ、攻撃された教師である。

 

 さらに全国に先駆けて障害者問題や障害児教育を創造した草分けとしても実践・理論的に非常に優れた能力を発揮した人である。

 

無断引用と寛容の背景

 

 同じ京都聾学校高等部の伊東雋祐氏のほうが今日では著名であるが、伊東雋祐氏はしばしば村上忠正氏の実践・理論を村上忠正氏の知り得ない他府県で無断でほとんどを引用して公表した。

 

 無断引用であったが故に伊東雋祐氏は村上忠正氏の名前と引用であると記さなかったため、伊東雋祐氏の考えであるかのように全国的に理解されてきた。

 

歴史的訂正・修正を加えた著作集の編集

 

 村上忠正氏はそのことに一定の道義的責任を伊東雋祐氏に指摘しつつもろうあ者問題・障害者問題・手話や手話通訳が広がることをねがって寛容的な立場を保っていた。

 

 後に伊東雋祐著作集を編集するにあたりすでに故人となっている村上忠正氏の引用等の問題を伊東雋祐氏に指摘し、伊東雋祐氏も反省を籠めて充分了解の基に多くの著作の修正と訂正すべきところは訂正して伊東雋祐著作集を発行した。

 

 しかし、すでに故人となった人の多くの引用文献や引用根拠を充分掲載することが出来なかった。

 

 第二回全国手話通訳者会議の後に伊東雋祐氏が講演しているが、その内容も同様である。

 

 伊東雋祐氏も故人となってしまった現在、故人からの伝承を整理することはあまりにも膨大で、困難を極める。