手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
患者とのコミュニケーション問題から
生まれた手話サークルが
向野
日赤の看護婦(高校生)さんが、患者にろう者がおりわからないので、 手話を習いたいという希望からはじまり、昭和38年9月発足。
2.0名<らい。当初より残つている人は3人くらい。その後.新聞やラジオで呼びかけ、現在は80名くらいの会員がいる。
平均20~30名くらい集つている。経費は京都市から年10万円、府から2~3万円、他謝礼金、会費1ヶ月50円で、年間30万円ぐらいになる。
手話学習会(フイルム等を使用して、正確な手話を学ぶ)
手話通訳者会(手話通訳団、10名ぐらい)
選挙のとき、身上相談、刑事問題等、手話演劇活動 ろうあ夫婦にできた子供とのつきあい
以上がグループの活動内容であるが、 その他(手話)テキストを発行、ろう者のホームヘルパーに対して、講習会を開いた。
看護婦(当時の名称)の患者とのコミュニケーション問題から生まれ、発展してきた手話サークルが広範囲の取り組みとなり、さまざまな諸問題に取り組んでいることの報告である。
すなわち、手話学習は手話を覚えたり、使えるだけで留まることなく社会の中のろうあ者問題として捉え、それぞれの状況に応じた対応策として手話サークルの中での分担と対策が講じられていることが解る。
このことが、後々行政保障と密接な関連を形成する要因となる。
手話講習会の講師の限界が
伊藤
点訳・手話の講習会を同時に開いている。交流をやっていきたい。豊橋には、ともしび会館があり、ここでやつている。
年間会費360円としている。
丸山
水島さんがやっている 「たつの会」 のことにっいて、 講師自身が限界に来ているのではないかと思われる。