手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

手話通訳者 はあらゆる地方の手話を理解し覚えるべきこれが原則である 丸山浩路 手話第三回手話通訳者会議1970年

手話を知らない人も

              手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

丸山浩路氏が言い放った原則

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 丸山浩路氏が、東京の司会者が意図的に「「ろう者同志でも手話がちがう。全国などのか基本になる手話が必要である。」を繰り返し強調したことに対して、

 

「手話通訳者は、あらゆる地方の手話を理解し覚えるべき。これが原則である。」

 

と言い放った。

 

 このことは、今日でも重要な意味を持つ。

 

  とても難解な事だと思えるかも
底流にある手話尊重の精神をくんでこそ

 

 手話の違いが強調されて、画一化、統一化された手話表現に慣れてしまっている人々にとって、丸山浩路氏の「手話通訳者は、あらゆる地方の手話を理解し覚えるべき。これが原則である。」は、とても難解な事だと思えるかもしれない。

 

 しかし、手話の底流にある表現を習得すれば、各地域の手話を知り、それを駆使する事は容易な事である。もちろんそのためには、事前のろうあ者との交流の中で地域のろうあ者の手話表現を学ぶ事が必須条件である。

 

 このことを習熟すれば、短い時間で地域の手話を覚え、お互いに交流する事が出来る。このことこそが、手話通訳の専門性であり、それぞれの地域の手話を手話通訳出来ないようでは、手話通訳したといえないのである。

 

 丸山浩路氏は、ズバリそのことを指摘して、

「手話通訳者は、あらゆる地方の手話を理解し覚えるべき。これが原則である。」

と発言している。

 

 手話テキストや映像や資格試験で手話を覚えたと自負している人々は、丸山浩路氏のこの原則をもう一度噛みしめてほしいものである。

 

 そこには、ろうあ者の手話表現をどこまでも尊重しようとする気持ちがある。

 

部分的にわからなくても
   意味はつかんでいる

 

坂本

 

 地方によってちがうがあまり心配するほどではない。

 

 部分的にわからなくても意味はつかんでいる。

 

 通訳者の責任として地方に行つた時はこうするんだというように覚えることだと思う。