手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
ろう学校の教師と
耳の聞えない人との食い違い
伊東
手話と口話とは矛盾しないと思うが学校の教師と耳の聞えない者との食い違いがあるのです。
京都のろう学校の高等部の生徒がストライキをやった。
なぜストライキをやったかということで学校で討議をしていって、一つの面では手話、口話の問題がある。
手話が出来るから良い先生
手話がわからないから悪い先生
とは言っていない
手話が出来るから良い先生で、手話がわからないから悪い先生とはいっていない。
私達聞えない者の立場についてくれる先生がほしいのですといって教員と話している中でやはり手話のできる先生が良いということになるようである。
それによって口話が良いのか、手話が良いのかという話しになってきたときどのようにろうあ者を理解して、どのようについて行くかということが大事なのではないかと思う。
伊東雋祐氏の
矛盾の多い発言の背景
伊東雋祐氏は、京都のろう学校の高等部の生徒がストライキをやった。
なぜストライキをやったかということで学校で討議をしていって、一つの面では手話、口話の問題がある、と述べ、ながら「手話と口話とは矛盾しないと思う」「学校の教師と耳の聞えない者との食い違いがある」。などのと発言しているが、ここには明らかに矛盾した発言である。
手話がわからないから
悪い先生とはいっていない
手話のできる先生が
良いということになる
口話を是とすることを述べながら京都ろう学校における「授業拒否事件」当時の生徒たちが「手話が出来るから良い先生で、手話がわからないから悪い先生とはいっていない」としながらも「(生徒たちが)聞えない者の立場についてくれる先生がほしいのですといって教員と話している中でやはり手話のできる先生が良いということになるようである」とまで述べる。
手話と口話とは矛盾しないと
と言い切ってしまっているが
手話と口話という問題では、明らかにコミュニケーション方法をめぐって矛盾する事が多々あることを明らかにしつつ手話と口話を述べるのなら理解出来るが、「手話と口話とは矛盾しないと思う」と言い切ってしまっている伊東雋祐氏の発言は、その後の手話との関連で説得力はない。
「授業拒否事件」を詳細に知る
京都ろう学校の教師や
手話通訳者が参加していた
伊東雋祐氏が参加していた手話通訳者会議には、京都ろう学校における「授業拒否事件」を詳細に知る京都ろう学校の教師や手話通訳者が参加していたので伊東雋祐氏は京都ろう学校における「授業拒否事件」からの諸問題及び手話と口話の問題について正面から話す事が出来ず、回避的発言をしていたのである。
このことは、当時の全国手話通訳者会議での討論でも婉曲的指摘が京都から行われる。
故人となった伊東雋祐氏のことについてあえて書くのは、多くの人々が伊東雋祐氏を無批判的「信奉」をして、歴史的事実を正確に踏まえない人が増えているからである。
故伊東雋祐氏の名誉のためにあえて
故伊東雋祐氏の名誉のためにあえて書いておくが、彼は、ろう学校では口話法で日本語を教える方法が有効な手段であるとし、ろう学校卒業以降は手話を可とする態度を取り続けていた。
ようするにろう学校内部の口話教育に対する批判意見を出さず、状況に甘んじる立場をとっていた。それが伊東雋祐氏だった。
全国的には、手話論者であり、職場である京都ろう学校では手話の併用や導入について黙認していた。
逆に当時、普通校のほうが、手話の必要性を認め子どもたちの手話会話を容認していたところがあった。
参照 (京都ろう学校における「授業拒否事件」真相)