手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
4,ろうあ者・ろうあ協会などの団体と手話通訳者・手話通訳者たちとの関係や立場について率直な意見が出されたことは、今日においても重要な意味を持つ。
聞こえる手話通訳者が
ろうあ者よりも
「優位」に立つとする考え
聞こえる手話通訳者がろうあ者よりも「優位」に立つとして、ろうあ者の意見や話を聞かないで手話通訳者が勝手に話を「盛り上げ」「つくりあげ」る傾向は少なくなかった。
それは、社会的にろうあ者の基本的人権と認めない傾向と密接な関係を持っていた。
そのため、しばしば、手話のできる聞こえる人は「ろうあ者を説得する側」に立たされたり、自己容認する場合もあった。
ろうあ者の意見や話を
無条件に聞き
それに従うべきだとする考え
逆に、ろうあ者と手話通訳者との関係で、聞こえる手話通訳者がろうあ者よりも「優位」に立つため、すべての面でろうあ者の意見や話を無条件に聞き、それに従うべきだとする考えもあった。
ろうあ者と手話通訳者との関係で主従関係が、あるとする考えである。
さらに、その主従関係を場面場面に応じて「主」・「従」を入れ替える考えや行動もあった。
人間平等の中でのろうあ者と
手話通訳者との関係を明らかにする動き
以上の主として3つの傾向に対して、ろうあ者も手話通訳者も同じ人間としての共通の立場にあるので「主従関係」で問題を考えるべきではなく、お互い平等関係の中で手話通訳問題を考えるべきではないか、とする意見も出されてきた。
これらの問題は、主観的な意識によって絶えず揺れ動いてきたが、次第に理論的に解明し、人間平等の中でのろうあ者と手話通訳者との関係を明らかにする動きはあったが、全国的に共通認識を持つに至らなかった。
そのため、後々、感情的対立や「抑圧感」などが、双方の一部に残ることとなった。