手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
第5部 全員集 会
6月3日午前1 1時から最後の全員集会(手話通訳研修会、手話第習会を含めて)がもたれ、この席で次の3点が確認されました。
六項目の第五回全国手話通訳者会議の議決
第1には、昨日の第1分科会での提起に基づいて、次のよつな決議文が満場一致採択されたことです。
決 議 文
私たち第五回全国手話通訳者会議に参加した者は、本会議における討議にもとづき次のように決議します。
一、 ろうあ者の生活と権利を守る基本的立場において通訳活動の実践ととりくみます。
一、 通訳活動の実践を通じてろうあ者問題の認識を深めそれをより多くの人々に広めます。
一、 私たちは常にろうあ運動と連帯し、手話通訳保降の実現につとめます。
一、 私たちは手話通訳者の身分保障、活動保障を実現させるために努力します。
一、ろうあ団体と協力して手話通訳者の全国的な組織をつくります。当面ブロツクでの 組織化をはかります。
一、 私たちは常に手話および通訳問題の研修を深めます。
昭和47年6月3日
第5回全国手話通訳者会議
必要な今日的検討と研究
六項目の第五回全国手話通訳者会議の議決
1972年6月3日に行われた第5回全国手話通訳者会議の六項目の議決は、あくまでも第5回全国手話通訳者会議に参加した人々が取り決めたものであり、全国の手話通訳者や手話通訳活動に参加した人々を「拘束」するものではなかった。
しかし、1972年6月3日以降、この議決は基底のこととして手話通訳者や手話通訳者の諸問題を推し進めることになる。
まだ論議がつくされていないとしながらも、「議決」するということはすべきではなかったのではないだろうか。
本質を考えないで
「表面的な時の流れ」を眺めている
すなわち、1年、2年、3年と全国各地で論議された上での「議決」であればまだしも、全国的に手話通訳が「認知」されつつある段階でこの「議決」は、ある意味さまざまな意見を持つ人々を「排除」する可能性を持っていた。
この「議決」を基に全国手話通訳問題研究会が誕生してきたという考えを述べる人がいる。だが、それは問題の本質を考えないで「表面的な時の流れ」を眺めているに過ぎない。
まず、一、 ろうあ者の生活と権利を守る基本的立場において通訳活動の実践ととりくみます。のことから考えたい。