手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
大きく様相を変えた全国手話通訳者会議
第6回全国手話通訳者会議は1973年5月2~3日 大阪で行われるが、第5回手話通訳者会議と大きく様相を変えていくことになる。
参加者の条件が、「手話通訳活動に従事している者で地元ろう協の推せんした者。サークル問題分科会 各地手話サークルの代表者または会貝」などの参加資格を条件をつけつつも一般参加は自由とした点である。
各地でろうあ協会と手話通訳者と
少なくないトラブルが生じていたが
このことでの評価は分かれるが、地元ろうあ協会の「推薦」は、各地でろうあ協会と手話通訳者との間で少なくないトラブルが生じていただけに、結果的にろうあ協会の役員による可否という条件は多くの問題を露呈することになる。
少なくないトラブルを話し合いで解決した地域も多かったが、やむを得ず全国の手話通訳者と交流を持てなかった人々もいた。
「ろうあ者の権利を守る手話通訳を!!」
と基調報告が出され
基調報告が出され、よびかけテーマ、「ろうあ者の権利を守る手話通訳を!!」として、全国手話通訳者会議事務局が行った。
その主な内容を以下紹介する。
聴覚障書者をめぐる情勢の特徴!!(その1)
1972年6月の第5回長野大会から早や1年がたち、再び私たちは各地の実態と実践活動の内容討議をもちよってこの大阪の地に新しい仲間と共に集まってきました。
この1年間の聰覚障害者をめぐる動きの大きな特徴は、聴覚障害者を含む大きな障害者運動の流れ一つまり、障害者であることを理由に不当に権利を奪うことを許さない運動が、全国各地において障害者とその家族や周囲のさまざまな階層の人達と手をとり合つておこってきていることです。
この中で聴覚障害者・ろうあ者も全日本ろうあ連盟の旗のもとに組織の民主化と強化に努力を注ぎながら、ろうあ者の運転免許取得権の獲得をめざす樋下裁判の支援とそれに続く国会請願、手話通訳保障に関する要求運動、地方自治体におけるろうあ者福祉に関する要求交渉などが積極的にとりくまれ、その成果は着実に実現しつつあります。
これらの運動がろうあ者差別を許さず、ろうあ者も人間として、国民として、あるいは地方自治体における住民のひとりとして、「ゆたかに生きる権利」の保障を要求する運動として、私たちの「ろうあ者の権利を守る手話通訳活動」 という要求の内容で統一し、 具体的な行動の中で団結を強しています。
全日本ろうあ連盟の運動
と連帯してろうあ者の生活と権利を
守る運動が発展しつつある
こうした動きの中に全国会議結成以来5年余の運動が全国各地に広がり、「ろうあ者の生活と権利を守る」 全日本ろうあ連盟の運動と連帯して発展しつつある事を確認できます。
障害者をとりまく「新しい貧困」
聴覚障害者・ろうあ者の
生活をおびやかして
しかし、 こうした動きはまだまだろうあ者の生活と権利を確実に保障するものとはなっておらず、このため他方では障害者全体及び一般国民の生活はおびやかされ、健康を破壊する動きが強まって来ています。
障害者を含む労働者の首切り、労働強化がすすめられる一方では、労働災害、職業病など障害者をつくりだす「社会的事故」が激增しています。
こうした障害者をとりまく「新しい貧困」は、聴覚障害者・ろうあ者の生活をもおびやかしてきています。
それに加えて、障害者国民に対する 低福祉高負担」のまずしい社会福祉社会保障政策は障害者の生存そのものさえおびやかしてきているのです。
その端的なあらわれは、障害者とその家族の自殺・殺害・家出・蒸発事件などがあとをたたず、ほとんど毎日の新聞、テレビなどに報道されていることです。
これらの基調報告及び分析は当時の社会状況を捉えていたとしても、ここではすでに手話通訳者が、全日本ろうあ連盟の運動と連帯するとしたことを高く評価する人々と必ずしもそのように思わない手話通訳者に亀裂を生じさせていく切っ掛けにもなったのではないかとも考えることが出来る。