手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

沖繩の一度に400名もの 風診 による 聴覚障害児の発生 などのなかで 第6回全国手話通訳者会議1973年

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手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

ろうあ者の障害は

見かけの障害とはうらはらに副次的な障害が人間としての権利を著しく疎外している

 

第6回全国手話通訳者会議基調報告 聴覚障書者をめぐる情勢の特徴!!(その2)

 

 ろうあ者の場合についても、見かけの障害程度が軽いことから、まずしい社会福祉社会保障制度の枠の中でさらに等級制限、所得制限を条件づけられ、そのまずしい制度さえ享受できなくなってきております。

 

 ろうあ者の障害は見かけの障害とはうらはらに「聞くこと、話すこと」の障害に起因する副次的な障害が人間としての権利を著しく疎外しています。

 

 故に他の障害者とは質的に異つた実態や要求があるのです。

 

 これらの問題は、単なる障害者同志の団結というかけ声だけでは却つて問題の本質をはぐらかし障害種別、程度区分によって運動の統一を困難にしてしまいます。

 

障害種別やその内容に見合う専門的要求
 それぞれ追求されねばならない

 

 障害者同志の団結はこれを否定するものではありませんが、やはり障害種別やその内容に見合う専門的要求はそれぞれ追求されねばなりません。

 

 ろうあ運動が障害者運動の中で果してきた独自の成果は他の障害者の要求実現に大きな教訓を引出しています。

 

 こうしたろうあ運動のもりあがりの契機となった背景は、国の所得倍增政策、つまり高度経済成長政策が打出された1960年代から障害者をはじめとする国民生活が著しく圧迫されると同時にろうあ者の人として生きる権利も危機的な状況にさらされてきました。

 

聴覚障害者の多発沖繩では

400名もの風診による聴覚障害児の発生

 

 そればかりかポリオ(小児まひ) の大流行と共にマイシン系薬物の副作用による薬害をはじめ労災による聴覚障害者の多発、又沖繩では一度に400名もの風診による聴覚障害児の発生し、文字どおり、聴覚障害児もつくり出されるという傾向が明確にあらわれてきました。

 

 こうした1960年代~1970年代にかけて表面化しはじめた聴覚障害者・ろうあ者に対する生活破壞、権利侵害に対し、90余年のろう教育の伝統の中で育くまれたろうあ者集団の運動が新しい胎動をはじめたのです。

 

 それは、これまで閉ざされていた一般健聴者社会との連帯を求め、同じ障害をなぐさめ合う「なぐさめの集団」から、ろうあ者として、人間として、国民として住民として、  「豊かに生き、発達する権利」を追求する「権利要求の集団」として動き始めたのです。