手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

ろうあ者の運転免許要求 新たな段階 第7回全国手話通訳者会議1974年

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手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 聴覚障害者の運転免許は、危険として非常に制限されていた時代。裁判にまで発展したが、各都道府県公安委員会は、ろうあ協会の要求を受けて単に聴力検査だけではない改善を図ってきた。

 

 例えば40m離れたところに聴覚障害者が立って車のクラクションに反応したら許可するという場合もあった。この場合、周辺の騒音やクラクションの高低によってかなり違う問題があった。

 

 現在のように小型軽量で直接耳に装用できる補聴器がなかった時代、補聴器を内ポケットに入れてコードやイヤホーーンを髪で隠して合格する人も居た。

 

 とても考えられない状況を乗り越えて自動車免許取得が実現されてきた。

 

  ろうあ者が自動車運転免許を取得した

 

  第7回 全国手話通訳会議基調報告

 

 ろうあ者の運転免許要求についてはねばり強い全国的な運動の広まりによって、運転免許取得有資格者の堀りおこし、適正検査の実施などが具体的に取り組まれました。

 

  この運動によりろうあ者が自動車運転免許を取得した成果がかなり多くの府県でみられ、 この結果、 警察庁をして補聴器の使用を認め全国に「通達」を出させることができました。

 

 また、これまで持続的に闘われてきた自動車運転免許裁判の樋下氏自身が運転免許を取得し、この運動が 新たな段階を迎えてきています。

 

  聴覚言語障害児者

      総合センターを建設する運動

 

 ろうあセンター-ろうあ会館の設置運動については. 身体障害者総合福祉会館建設の方向との関連で困難な事態に直面しながらも一定の前進がみられます。

 

 ろうあセンタ一建設運動において先導的役割を果してきた京都では、ろうあセンタ一事業をさらに深め、公的に保障させる専門センターとして「聴覚言語障害児者総合センターを建設する運動」に取り組み、ろうあ者・難聴者・吃音者等聴覚障害児者の関係団体及び関係労働者、組合等の支援、共同運動で6万の署名、350万円のカンパを結集し、自主的に建設構想をまとめあげ、青写真を作成するなど、聴覚言語障害児者に対する専門的な行政とりくみを追求しています。

 

  ろうあ者要求の自治体交渉等による
       綿密な積みあげによって

 

 全日本ろうあ連盟においても、国立の中央ろうあセンター(会館)と各都道府県における地方ろうあセンター(会館.)の建設運動を大きくすすめる気運が高まってきています。

 

 こうした運動の高まりの背景には、各地域ろうあ協会における、ろうあ者要求の自治体交渉等による綿密な積みあげによって、着実に勝ち得た成果を全国的課題としてもち寄り、 再び地域のろう協で実践するとぃう方式がより一層定着してきています。

 

 これは、 全日本ろうあ連盟が、全てのろうあ者が一人残らず運動のにない手として、 各地域協会に結集し具体的な要求にもとづく運動の中で学習し、一人一人のもつ力量を強めるよう努力してきた結果だろうと考えられます。