手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

成熟していたとは言えない全国手話通訳問題研究会結成 第7回全国手話通訳者会議1974年

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手話を知らない人も

               手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

  第7回全国手話通訳者会議では、それまでの全国手話通訳者会議を継承して、個人が会員として入会する全国手話通訳問題研究会がつくられ、それが全国組織としての機能をもつとされた。

 

 そして現実に、全国手話通訳問題研究会が結成される。

 

 このことには、いくつかの問題があったが主な点を挙げておく。

 

1,手話通訳者の全国組織を創りあげるまで状況は成熟していたのかという問題がある。
 
 全国手話通訳者会議には、すべての都道府県からの参加があり、充分な討論がされたのか、と考えれば決してそうではなく全国を網羅した状況ではなかった。

 

 また手話通訳者のひとびとの間で一定の共通認識が持てていたか、を考えてみると共通性は未成熟だったと言えるだろう。都道府県市町村での取組には、大きな格差があった。

 

 そこで、先進都道府県を基礎に据えると、未成熟な都道府県の人々はそれに他追随せざるを得なくなるがそこには現実の状況との間でギャップが必ず生じる可能性があった。

 

 でも、それを振り払い先進都道府県を例示に問題を踏まえた方向を打ち出すと、結果的にそれに就いていけない人々を排除することになるという矛盾があった。

 

 その後の推移を考えるとそれまでの自由な意見交流と共通点を見いだすことが出来ないで、一定の考えの基に手話通訳者が分散し、それぞれがそれぞれに自分たちの考えを述べる事態が生まれている。

 

 お互いの違や考えを認め合いながら、双方の理解を認識し、相互理解の中で同一の共通認識を形成する場や時が失われたのではないか。

 

 このことは、手話通訳の歴史のなかでも特筆して記憶しておかなければならない事項だろう。

 

 では、どうすれば良かったのかという問いが返ってくるだろう。

 

 個人加盟の全国手話通訳問題研究会が結成されても、会員でない人や全国手話通訳問題研究会の方向とは違う考えをもつ人々をも含めた全国的な話し合いの場を持ち続けるべきであったと考える。

 

 全国手話通訳問題研究会もそうでない手話通訳団体も個人が、呼びかけて引き続き全国手話通訳者会議を開き続けるべきであったと考える。

 

 考えの違いを排除する手話通訳の方向は、それぞれの違いを際立てるためにどんどんと違いを先鋭化させ、共通認識そのものを消滅させてしまう可能性が充分考えられたからである。

 

 一定の考えがまとまることを是としないで、双方の立場を尊重し合いながら意見を交流し合う場と、とき、はこの時期には必須条件でもあり、それは現在に至るまでの必須条件でもあった。